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April 19, 2005
学習の生起に対するナイーブな期待
歩きながら考えていたら,言葉が湧き上がってきたので,ドラフトのドラフトくらいなクオリティでメモ.
社会科学におけるピュアな進化論のアプローチでは,学習の生起に対するナイーブな期待がなされている.
期待の中身は,2つからなる.
種の淘汰と同様に,選択と突然変異から進化が実現されるというものである.
そして,進化は学習として解釈される.
そのため,種の淘汰とおなじように,当然にまた自然に,学習が生起すると考えられている節がある.
学習の生起は,しかして,選択的で合目的的な行為としてとらえられるべきではないか.
上で述べた不自然な期待は,解釈の方向性が逆であることが原因であると考えられる.
進化は学習として解釈するのではなく,逆に,学習を進化として解釈するべきだ.
このように考えるならば,学習の生起をナイーブに期待することはできなくなる.
学習は選択的に行われ,その解釈・メタファとして進化を利用し,これを選択と突然変異として表現する.
これこそ,自然であろう.
そして,このパースペクティブからは,既存の進化的アプローチの分析における軽率な問題点が明らかになる.
学習の生起を時間の経過としてそのまま解釈していいのだろうか,と.
Posted by ysk5 at April 19, 2005 11:23 PM
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