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August 15, 2005
Senge(1995)
Peter M. Senge(著),守部 信之(訳).「最強組織の法則」.徳間書店,1995年.
ちょっとrevisitな感じで精読してみた.次の点について関心を持って読んだ.
- 5つのdisciplineの介入における方法論的側面
- 個と組織のつながりとしてのミクロ-マクロ・リンク
- Sengeのメンタルモデルの定義
本をまとめるときにはChapterレベルでまとめたほうがいいと思うので,Chapterレベルでのメモをどんどんこのエントリーに追加していく方針でいきたい.
■Chapter 1: 充分長いてこがあれば,片手で世界を動かしてみせよう
学習する組織を管理する組織と対比させている.組織学習のコンセプトでは組織を管理することで目的を実現するのではなく,組織が学習することで目的を実現すると考えるということか.そしてどうやって組織を学習させるかを考えていくことがラーニング・オーガニゼーションの構築ということではないか.
ラーニング・オーガニゼーションが求められる最も顕著な理由は,おそらく,そのような組織がもたねばならない能力をわれわれがやっと理解しかけてきた点にあるだろう.ラーニング・オーガニゼーションをつくろうとする努力は,長いこと,闇のなかを手探りで進むのに似ていた.そしてついに,そうした組織を育てるのに必要な技術・知識・筋道が見えてきたのである.従来の権威主義的な「管理する組織」と「学習する組織」とを土台から区別するもの,それは一定の基本修練の徹底にあるだろう.その意味で「ラーニング・オーガニゼーションの5つの鍵」が肝心なのだ.Senge(1995) pp.12
自己マスタリーについて.組織が学習するためには個人が学習する必要があり,そのためには個人が学習するにはどうすればいいのかを考える必要がある.自己マスタリーは個人が学習する姿勢に関する概念であるとおもう.
# ぼくの研究では存在を仮定する
自己マスタリーとは,個人の視野をつねに明瞭にし,深めていくことを意味する.エネルギーを集中し,忍耐力を養い,現実を客観的にとらえるのである.その意味でこれはラーニング・オーガニゼーションの不可欠な礎石---その精神的土台といえる.Senge(1995) pp.15
メンタル・モデルについて.この記述にある限りではSSMにおける世界観(Weltanschauung)のような感じであるな.
「メンタル・モデル」とは,われわれの心に固定化されたイメージや概念のことである.それが世のなかをどうとらえるか,どう行動するかに影響をおよぼす.(snip)同様に経営環境が変化すれば何ができ,何ができないかを想定する場合も,メンタル・モデルは強い力をもつ.たとえ新しい市場や時代遅れの組織慣行に関する鋭い洞察をもっていても,強力で暗黙のメンタル・モデルのせいで,多くは実地に試されるにいたらないのである.Senge(1995) pp.16
このように解釈できそうであるというのは以下の2つの記述からも裏付けられそうだ.この発掘,表出,精査という活動はシステムのroot definitionを定めるときに必要になるし,Weltanschuungはシステムのroot definitionに関わりが強いし,root definitionを定めることはある種の共有メンタル・モデルの構築と同義であるからだ.
シェルのグループ・プランニング・コーディネーターを最近引退したアリー・デ・ジウスはいう.激変するビジネス環境のなかでたえず適応し,成長できるか否かは,ひとえに「組織的学習,すなわち経営チームが会社や市場や競争相手に関して共有するメンタル・モデルを変えていけるかどうかにかかっている.この意味でわれわれは計画を学習としてとらえ,企業計画を組織的学習ととらえている」
メンタルモデルと取り組む修練は,内に鏡を向けることから始まる.自分の内にある世界のイメージを発掘し,それを表に出し,じっくり精査するすべを学ぶのである.Senge(1995) pp.17
こうしたチーム学習は「対話」で始まる.メンバーどうしが個々のメンタル・モデルを棚上げして,本当の「共同思考」にはいるのだ.
Senge(1995) pp.19
■Chapter 2: 組織はかく思考する
まずは企業(組織)が抱える7つの学習障害について.
- 職務イコール自分
- 敵は向こうに
- 積極策の幻想
- 個々の出来事にとらわれる
- ゆでられた蛙の寓話
- 体験から学ぶという錯覚
- 経営チームの神話
ミクロ-マクロ・リンクを組織の個人が意識していないことによる職務イコール自分シンドローム.
お仕事は何ですかと訊ねられれば,ほとんどの人は自分が加わっている事業全体の目的ではなく,毎日やっている職務を答える.ほとんどの人が,自分の影響がほとんど,ないしはまったくおよばない「システム」に組み込まれていると感じている.彼らは「仕事をこなし」,時間分だけ働き,自分には左右しえない諸力に対処しようとつとめる.その結果,自分の責任は職務の範囲までと考えがちになる.Senge(1995) pp.27-28
経験から学ぶという錯覚について.だがしかし,経験から以外になにによって学習ができようか.おそらくシステムモデルを考えることで帰結を学習せよというのがSengeの言い分であろうが,そのシステムモデルは経験することなしに構築可能なのであろうか?経験のみでなくシステムモデルから学習せよという言葉は,システムモデルが経験から構築されるとしたときには結局経験から学習していることになるだろう.
組織のぶつかる学習ジレンマの核心がここにある.人は経験から最も多くのことを学ぶが,重要な決定の場合はたいてい,その帰結を直接には経験しないのである.組織が重大決定を行うと,その影響はシステム全体に波及し,何年,あるいは何十年にもおよぶ.(snip)これらはまさに,試行錯誤によって学習するチャンスのほとんどない種類の決定である.Senge(1995) pp.34
このような意思決定過程には興味がある.Argyrisのespoused theoryとtheory in useのはなしとも関わってきそうであるし.この問題をモデル化してみるのは面白そうだ.
企業におけるチームは,きわめてしばしば,縄張り争いをする一方,個人の体面を汚すことは避け,チームの全体戦略を全員があと押ししているふりをする---結束したチームを装う---のに時間を費やしがちである.そのイメージを保つため,意見の不一致を押さえ込もうとする.重大な疑問を抱いているものも,それ公に述べるのは控える.共同の決定は,全員がのめる内容を反映した生ぬるい妥協の産物か,ひとりの考えをみんなに押しつけたものになる.意見の相違がある場合,それは責任のなすりあいか意見の二極分解となって表れ,基礎にある想定や経験のちがいが浮き彫りにされてチーム全体が学べるようにはならない.Senge(1995) pp.36
■Chapter 3:システムの囚人,考え方の囚人?
この構造の説明は良いと思う.構造の定義を”(システムの)ふるまいを左右する基本的相互関係”とするのは本質的な説明であろう.
「構造」といえば個人を外から制約するものととらえがちだ.しかし,人体のいくつもの組織(たとえば心臓血管組織や神経筋組織)のような,複雑な生体組織の「構造」とは,ふるまいを左右する基本的相互関係を意味する.人間組織の構造には,人が決定を下すやり方---認識や目標・規則・規範をそれにてらして行動に変える「活動方針」---がふくまれるのである.Senge(1995) pp.55
■Chapter 4:システム思考の法則
メモはないよ.
■Chapter 5:考え方をシフトする
ぼくはSDerではないのだけど,動態的な相互作用とその相互作用の結果としてのシステムの振る舞いに興味があって,これを分析し理解したい.
# このときに明らかに動態的な相互作用をモデル化する必要があって,でもそういうモデルってないですよねというかたちで展開できる気がする.
経営の多くの場面では,真のレバレッジとは,細部の複雑さではなく動態的な複雑さを理解することである.市場の成長と生産能力拡大の均衡を保てるかどうかは,動態的な問題だ.価格,製品(またはサービス)の品質,デザイン,および利用価値をうまく組み合わせて利益を生み,市場で強固な地位を築けるかどうかも動態的な問題だ.さらに,品質向上,費用削減,そして顧客の満足を持続的な形で両立できるかどうかもまた動態的な問題なのだ.Senge(1995) pp.96
■Chapter 6:現象を支配するパターンを見抜く
メモはないよ.
■Chapter 7:レバレッジの原則
メモはないよ.
■Chapter 8:木を見て森も見る
メモはないよ.
■Chapter 9:自己マスタリー
組織学習を考えるうえでの大前提.
組織は個人の学習を通してのみ学ぶ.学習する個人がいるからといって,必ずしも組織も学習することは保証できないが,学習する個人がいなければ,学習する組織などありえない.
Senge(1995) pp.165
ディシプリン間の関係について.ディシプリンについてのシステム図がほしいところである.
もしも人々が共通のビジョンも持たず,また,ビジネスの現実の姿に関して共通の「メンタル・モデル」も抱いていなければ,権限が大きくなった人々のせいで,組織にかかる負担は増すだけであり,一体感や方向性を維持するためのマネジメントにますます負担がかかるだけとなる.自己マスタリーというディシプリンが,ラーニング・オーガニゼーションの他のディシプリンとワンセットだという視点が必要なのは,この理由による.もし組織のリーダーたちが,共通のビジョンと共通のメンタル・モデルを育て,それぞれの部の指導者たちをガイドできるだけの能力がないならば,自己マスタリーにかかわろうという組織の決断は馬鹿げたことであり,見方が甘すぎることになる.
Senge(1995) pp.174
ビジョンと目的意識,そしてそれらのための自己マスタリー.
本当のビジョンは,目的意識という考え方を抜きにして理解することはできない.目的意識とわたしがいうときには,自分は何のために生きているのかという意味での目的意識だ.
Senge(1995) pp.176
しかし,ビジョンと目的意識は異なる.目的意識とは,一種の方向性,あちらの方向に行くと決めることだ.一方ビジョンとは,ひとつの目的地であり,望ましい未来の映像だ.目的意識は抽象であり,ビジョンは具象だといってもいい.
Senge(1995) pp.177
しかし,競争がすんだあと,そしてビジョンが自分のものとなった(あるいは,ならなかった)あと,自分をさらに引っ張ってくれるのは目的意識だ.それは,その人に新たなビジョンを作れとうながしてくれる.ここでまた,重ねていうことになるが,自己マスタリーはあくまでもひとつのディシプリンでなければならない.その人が真に欲するもの,つまりあるビジョンにその人が常に焦点を合わせられるようにし,次にまた新たな焦点を合わせられるようにするプロセスなのだ.
Senge(1995) pp.179
■Chapter 10:メンタル・モデルの克服
自分が使っている理論(theory-in-use)がメンタル・モデルであり世界観であるとしている.
つまり「メンタル・モデル」により,われわれは世界をどのように意味づけるかだけではなく,どのように行動するかも決めているのだ.ハーヴァード大学のクリス・アージリスは,メンタル・モデルと組織の学習を30年にわたって研究しているが,次のように述べている.「人々は自分の支持する理論(自分の言うこと)に必ずしも調和した行動は起こさないが,自分が使っている理論(各自のメンタル・モデル)には,たしかに調和的に行動する」Senge(1995) pp.191
工学的な立場からは,ここでの向上とは何をもって向上とするのか?という疑問と,よりよいメンタル・モデルというときのよりよいとは何から判断されるのか?という疑問があげられる.よさの判断をしっかりと行うことができなければ,ここでの信条は機能しないだろう.
会社全体の内部理事会を導くために,ハノーバー保険はメンタル・モデルを育むための作業原則をいくつか編みだした.このような原則がめざしているのは,探求を行うのに必要な優先順位の設定,幅広い見方の奨励,組織のすべてのレベルでメンタル・モデルが向上することである.以下に掲げたのがハノーバーの「信条」だ.1 リーダーの真価は,自分のメンタル・モデルをつねに向上するかどうかにかかっている.
2 人々に自分の好ましいメンタル・モデルを押しつけてはならない.メンタル・モデルは,自らを結論へと導くものではなければならないからだ.
3 自ら出した結論であれば,より深い確信がもて,より効果的な実践に結びつく.
4 よりよいメンタル・モデルをもてれば,その持ち主は状況の変化に対処できるようになる.
5 内部理事会のメンバーは,直接の決定を下す必要はほとんどない.むしろ,各支社長(現地のトップ)のメンタル・モデルを吟味し,援助するのがその役割である.
6 多彩なメンタル・モデルがあるからこそ,価値ある多彩な全体像が得られる.
7 集団は,ひとりではできないようなダイナミックな関係と知識を提供できる.
8 集団のなかで調和することをゴールとしない.
9 プロセスがうまく働けば,その結果として,調和がもたらされる.
10 リーダーの価値は,他人のメンタル・モデルにどれだけ寄与できたかで測ることができる.
Senge(1995) pp.208-209
■Chapter 11:共有ビジョン
共有ビジョンとメンタル・モデルの関係性について知りたいところだ.
最も単純なレベルでは,共有ビジョンとは「われわれは何を創造したいのか」という問いに対する答えである.個人のビジョンが,人がそれぞれ頭の中に描いている心象あるいはイメージであるのと同じように,共有ビジョンとは,組織のなかのあらゆる人々が抱いている心象である.組織に浸透しさまざまな活動への結束をもたらす共同体意識を,共有ビジョンは生み出す.Senge(1995) pp.225
■Chapter 12:チーム学習
メモはないよ.
■Chapter 13:組織の「分権化」
言われて気づいたのだけど,たしかにそうだな.
多くの組織論研究者が「生物体としての組織」という表現をつかって,これまでの独裁的階層制組織とはまったく異なる組織管理概念を提唱してきた.末端に数えきれないほど意思決定プロセスがあって,健全な状態を維持し成長を遂げるために,それらがたえず変化に適応している.要するに,分権管理の考え方である.
Senge(1995) pp.294-295
■Chapter 14:管理職の時間
■Chapter 15:仕事と家庭の対立が終わる
■Chapter 16:マイクロワールド1
■Chapter 17:マイクロワールド2
■Chapter 18:マイクロワールド3
メモはないよ.
■Chapter 19:新しいリーダーシップ
学習する組織のためには5つのディシプリンの実現が必要だとして,一つひとつディシプリンを導入していくことだけが,5つのディシプリンを実現する唯一の方法なのだろうか.もう少し方法論的な展開が考えられると思うのだけど.
どのディシプリンから先に追求すべきかを選択するための基準ですら,いまだ明確なものはない.「最も簡単なディシプリン」,つまり最も容易に受け入れられ,予想される反発が少ないものから始めるべきだろうか?一般的にいって,新しい学習ディシプリンが,重要な問題や個人の学習ニーズに結びつく限り,人はそれを体得することに前向きのようだ.しかし,もしあるディシプリンについて抵抗がある場合,はたしてそれを推し進めるべきだろうか.それとも別の分野が軌道に乗るまで待つべきだろうか?Senge(1995) pp.371
Posted by ysk5 at August 15, 2005 11:25 AM
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Comments
When an opportunity is neglected,it never comes back to you.
Posted by: ray bans outlet online at May 9, 2014 01:38 PM