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April 18, 2005
塩沢(2000)
塩沢 由典.”システム・アプローチに欠けるもの---経済学における反省---”.社会・経済システム,Vol.19,pp.55-67,2000.
下からも,タイトルはつまり,経済学におけるシステム・アプローチに欠けるもの,というように解釈していいと思う.
社会・経済システム学会は,「社会的・経済的事象に関するシステム研究」(同創立趣意書)を目指して1982年に設立された.わ
たしは創立当時からの会員ではなく,なぜここで,単に「社会・経済システムの研究」でなく,「社会的・経済的事象に関するシステム研究」という表現をもち
いたのか,その経緯を知らない.経済学の分野にあるものとして推測するに,経済システムないし社会システムというとき,市場経済や計画経済といったシステ
ムないし体制の研究と混同される恐れがあったということであろう.それを退けるわけではないが(現に,比較経済体制研究は,この学会に参加する経済学者の
主要な関心事のひとつである),そのような研究に限定して理解されることを避けて,よりひろく「社会的・経済的事象に関する」研究を目指すという宣言で
あったのだろう.さらに,「システム研究」という部分にも,「事象に関するシステム研究」という以上,「システムを研究する」という意味よりも,「システ
ムとして研究する」あるいはより正確には「システム理論をもって研究する」,「システム思考により研究する」という主張ないし意気込みが込められていたに
違いない.以下では,このように解釈された「社会的・経済的事象」に関する「システム研究」について,主として経済学における回顧と反省を込めて考えてみ
たい(1).塩沢(2000)
合理的選択理論には問題がある.しかし,システム論にも理論的(アプローチ的)に欠落があった.
であるとするならば,どうすればいいのだろうか?
合理的選択理論の問題点は,個人の選好や確率判断を所与とし,個人はなんらかの最適化行動を行っているはずだという問題設定にある.このような問題設定に
対し,さまざまな異論が提出されている.選好関係の社会的な形成,計算能力の限界,問題と状況の不明確さ,関連変数の恣意的抽出などである.このような問
題点があるにしても,方法論的個人主義が立てた基本設定=「人間はなんらかの判断にたって意思決定を行っている」ことを否定することはできない.システム
論は,その出自を生物学や工学においており,このような問題状況における人間の理論をもたなかった.この点に,システム理論の大きな欠落がある.
塩沢(2000)
ここでは,エージェントベースアプローチがその欠落を埋めてくれるであろうとしている.
ここではソフト・システムを例にとって説明をしているけれど,この意図は,ハードなシステムとして経済システムをとらえる合理的選択理論とのコントラストを強調するということであろう.
「内部モデルを形成するエージェント」という見方は,チェックランドのソフト・システム以降,ロボティクスなどと問題意識を共有するところから育ってき
た.チェックランド(1985)は,人間を含むソフト・システムにおいては,問題と状況の双方が明確には定義されないところから出発せざるを得ないことを
強調している.問題解決にあたる認識者の立場を自律エージェントと置き換えれば,かれのもつ内部モデルが一義的に確定しないことは,ソフト・システムのモ
デル化として当然の前提である.そうだとすれば,内部モデルを参照してなされる行為も一義的に定義されるものではなくそこから形成される経済過程自体一義
的に確定されない.重要なのは,そのようにして形成される経済過程を観察することにより,主体の内部モデルが変化・修正されることである.エージェントの
行動と全体過程とは相互に規定する関係にある.このことは,自律的エージェントの問題において,方法論的個人主義が成り立たないことを意味する.
塩沢(2000)
特に社会科学の領域においては手法・理論の検討は非常に重要であるというのはさいきんのサーベイから分かってきた.
ある種哲学的な出発点から方法論を構成的に作っていくこと,そしてテストを通じて常に検討を加えていくことが,あるひとつの有用なそれであるための必要条件ではないのかな.
Posted by ysk5 at April 18, 2005 12:29 PM
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