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April 24, 2005
学習をとりいれたシミュレーションは何のためのシミュレーションか?
酔っていないけど,歩きながら考えたのでメモ.
始点として,学習を選択的な行為であり,意図と意志から実現されるものであると考える.
さらに,低次の学習と高次の学習についてArgyrisの4つの学習をstrictに解釈するとする.
とするとき,組織の学習の問題は低次の学習であるsingle-loop learningより,高次の学習であるdouble-loop
learningに焦点が当たり,この学習をどうやって生起させるか,そしてどうやって効率的にこの学習を実現させるかが,この領域の中心問題であるとい
えよう.
double-loop
learningをどうやって生起させるかについては実証研究およびフィールドリサーチによるアプローチが有用であり,またある程度の成果が提出されてい
る.
しかし,どうやって効率的にこの学習を実現させるかについては,実証研究のアプローチが得意とするものではない.これを明らかにするためには多分に組織の
振舞いを考慮する必要があるからだ.そこで,シミュレーションベースのアプローチが手法的な特性から候補として上がってくる.
しかし,学習をとりいれたシミュレーションにおいては十分な手法が確立されていない.
ここではシミュレーションに,振舞いの記述とそこからの含意としての意思決定の支援が実現されることを期待したい.
たとえばSOARSにおけるethnographic data
miningのような意味での有用性を伴ったものを考えたいのだが,例えばピュアなinverse
simulationなアプローチでは学習をとりいれた文脈においては,不十分だ.
それはピュアなinverse
simulationがある意味で意思決定支援の枠組みしか持ちえないからだ.そこで,振舞いの記述の枠組みを持たせることが必要になる.
しかし,単純に収束過程をプロセスとして見るだけでは,SOARSのようなステップ概念のレベルでの含意を持たせることはできない.ここではGAが時間概
念と解釈され,これによって経過を考えているが,GAはdouble-loop learningの表現として使われている.
始点として,学習を選択的な行為であり,意図と意志から実現されるものであると考えるのだから,学習の生起に対してナイーブな期待を寄せることはできない
(特にdouble-loop learningについて)のだ.
じゃあ,新しい方法論を考えるしかないよなという,僕の研究の出発点にくるわけだ.
Posted by ysk5 at April 24, 2005 08:28 PM
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