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April 26, 2005
山ん中の獅見朋成雄
帯がですね,煽りすぎだとね,そう思います.
かんたんにいうと”千と千尋の神隠し”の構造をもった物語.
あっちの世界に行って,新しいわたしになりました.でも,ほんとうにそうなの?じゃあ,昔のわたしって?やっぱり,昔のわたしも今のわたしもわたしでありたいのだ.わたしという存在はわたしであるということで実現され,そこでは名前なんて関係はないし,意味もない.
ということを鬣(たてがみ)に意味づけして,おはなしは進む.
背中の鬣を完全に失い,僕は新しい僕になる.前まであった僕は完全に失われ,どこかが決定的に変化している.端的に言うと,もう僕の背中の上に,毛がない. pp.157
僕はもう変わってしまったのだ.あのトンネルをくぐる前の僕にはもうなれないし,あの頃の僕ももう戻ってこないんだ.僕は諦めなくてはならない.目の前に ある僕で何とかしなければいけない.新しい僕のままで何とかやっていかなくてはならない.そんなこと知っていたし,そうするつもりだったし,新しい僕を受 け入れていたつもりだったし,前の僕なんてどうでもよいつもりだったのに,墨を握った瞬間,僕はあっという間に昔の僕を取り戻そうとしていた.昔の僕にな ろうとしていた.昔の僕に返ったつもりになっていた. pp.193-194
石海めー,この野郎,馬,ちゃんといたじゃねえかよーと思って,僕は泣く.そう思う僕が,ここに来る前の僕とつながっていて,今の僕は前の僕とは完全に違うと思っていたけど,そうではなくてどこかでやっぱりつながっているんだと知って,僕は泣く. pp.231さいきん本ならば何でも面白いという状態なので,程度問題でしか語れないのだけど,少 々期待していた水準までの面白さがなかったと思う. このへんは出会いの問題なので,もう一回読んでみたら,変わるかもしれない. けど,そう思ったことは書いておく.
Posted by ysk5 at April 26, 2005 09:51 AM
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