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May 04, 2005
オイディプス症候群
今回はそしてだれもいなくなったな構造を使いつつ,ミステリを哲学しながらミステリを展開していくという,自己言及的で自己生産的ないつものカケル・シリーズに仕上がっている.
本作もたいへんおいしゅうございました.やはり凡庸なミステリと比べると読み応えが違うし,すごく勉強になる.
というわけでメモ.
ナディアがさらにぞっこんになりつつある件について(比較:哲学者の密室).
……だめよ,カケル.自分だけ救われてしまうなんて.わたしを置いてきぼりにして,一人で外に出ようなんて.光が溢れた彼方の世界に,自分だけ一人で行こ
うなんて思っても無駄だわ.わたしは最後まで離れない.意気ができなくても窒息しそうになっても緊張の極限で腕の筋肉が切れそうになっても,最後まで一緒
に行くつもりなんだから.
pp.66
愛についての本質直観のための次元の切り分け.
「愛について本質直観するには,この経験を3つの次元に分けなければなりません」 「愛の3つの次元……」
「そう.たとえば自己愛の<愛>,恋愛など単独の他者にたいする<愛>,そして複数の他者にたいする隣人愛などの<愛
>.これらは愛という共通の言葉を含んでいるけれども,それぞれ本質を異にするものです.とはいえ無関係ともいえない.結論を先にいえば,これら愛
の3範疇は母と子の関係から生じる観念が分化したものなんですね」
pp.297
パノプティコンのはなし.
これをだな,S上くんに,このまえのお茶会のときに説明したかったのだ.
トップダウンな規範の創成とは精神的監獄なアプローチによって実現されていると.
一方的に見られる存在とは,ようするに客体だろう.しかし,そこに主体なるものが成立する秘密もある.逆光に照らされた独房に閉
じこめられ,不可視の監視者のまなざしにさらされた囚人は,見られているという意識を強制され続ける.その瞬間に看守から見られているため,囚人は監獄の
規律に反した行為を禁欲するのではない.見られているかもしれないという意識が囚人の行動を制約し支配する.監視する権力は内面化され囚人自身が囚人を監
視するようになる.このようにして従順きわまりない理想的な囚人が大量生産される.パノプティコンが,外面性と区別され,むしろ外面性に対立する純粋な内
面性を創造するんだ.
pp.502
Posted by ysk5 at May 4, 2005 05:09 PM
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