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November 26, 2004
好き好き大好き超愛してる.
舞城 王太郎,「好き好き大好き超愛してる.」,講談社,2004年.
徐々に説教臭くなってきているような気がしますが,大好きです.
物語とか小説とかに自覚的な描写が最近好きです.
愛は祈りだ.僕は祈る.僕の好きな人たちに皆そろって幸せになって欲しい.それぞれの願いを叶えてほしい.温かい場所で,あるいは涼しい場所で,とにかく
心地よい場所で,それぞれの好きな人たちに囲まれて楽しく暮らしてほしい.最大の幸福が空から皆に降り注ぐといい.僕は世界中のすべての人たちが好きだ.
名前を知ってる人,知らない人,これから知ることになる人,これからも知らずに終わる人,そういう人たちを皆愛している.なぜならうまくすれば僕とそうい
う人たちはとても仲良くなれるし,そういう可能性があるということで,僕にとっては皆を愛するに十分なのだ.世界のすべての人々,皆の持つ僕との違いなん
てもちろん僕はかまわない.人は皆違って当然だ.皆の欠点や失策や間違いについてすら僕は別にどうでもいい.何かの偶然で知り合いになれる,ひょっとした
ら友達になれる,もしかすると,お互いにとても大事な存在になれる,そういう可能性があるということで,僕は僕以外の人全員のことが好きなのだ.一人一
人,知り合えばさらに,個別に愛することができる.僕たちはたまたまお互いのことを知らないけれど,知り合ったら,うまくすれば,もしかすると,さらに深
く強く愛し合えるのだ.僕はだから,皆のために祈る.祈りはそのまま,愛なのだ.
祈りも願いも希望も,すべてこれからについてこういうことが起こってほしいとおもうことであって,つまり未来への自分の望みを言葉にすることであって,そ
れは反省やら後悔やらとはそもそも視線の方向が違うわけだけど,でも僕はあえて過去のことについても祈る.もう既に起こってしまったことについても,こう
なってほしいと願う.希望を持つ.
祈りは言葉でできている.言葉というものは全てをつくる.言葉はまさしく神で,奇跡を起こす.過去に起こり,全て終わったことについて,僕たちが祈り,願
い,希望を持つことも,言葉を用いるゆえに可能になる.過去について祈るとき,言葉は物語になる.
人はいろいろな理由で物語を書く.いろいろなことがあって,いろいろなことを祈る.そして時に小説という形で祈る.この祈りこそが奇跡を起こし,過去につ
いて希望を煌めかせる.ひょっとしたら,その願いを実現させることだってできる.物語や小説の中でなら.
(p.7-9)
……でも愛情と物語は,ひょっとしたら同じものなのかもしれない.そう,愛とは祈りで,物語も祈りだ.でもそういう本質的なところだけじゃなくて,構造も
似たようなものを持ってるのかもしれない.それともひょっとすると,愛情と物語はまったく同一のものなのかもしれない.一つのものを,僕たちはあるときに
は愛情と呼び,またあるときには物語と呼んでるのかもしれない.
(p.168)
Posted by ysk5 at November 26, 2004 07:40 PM