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April 14, 2005
解釈フリーの危険性の回避のための方法論の必要性
学習の表現としての進化の過程における時間概念の
続き.
きょう学校でS上くんとおはなししたのと,センセに本をお借りするときにディスカッションをしていただいたので,何となくかたまってきた.
少し酔ってきたので,また長文を書きつつ整理をしたい.
現在の社会科学における進化的アプローチは時間的概念について解釈するための枠組みというか準拠枠が存在していない.
で,センセに”このへんの文脈で進化についての時間的概念について考えているような研究ってありますか?”とお聞きしてみたら,”単独でそういったものは
ないし,おそらくないと思う”とのご返答をいただきました.で,”それってばつまり興味がないからってことですか?”とお聞きしたら,”たぶんそうだね”
とのこと.
しかし,興味がなくていいのだろうか?
たとえば,SD(System
Dynamics)がなぜ強いかと言えば,それは時間的な経過をかなりの程度リアルなものと結びつけて,結果を分析することができるからである.
この分析はすなわち,意思決定のための大きな支援となるだろう.
一方で,現在の進化的アプローチは多様な解釈を許容する.
抽象度の高い議論において,多様な解釈を許容しうるというのは,たしかにそれ自体はある種の強みではあるのだけど.
しかし,あまりにも多様な解釈を許し,解釈フリーな,なんでもありな状況ではないであろうか.
解釈のための結果,解釈のための実験にどれほどの意義が残っているであろうか?
ここで,解釈を支援する方法論が必要となってくるのではないか.
例えば時間概念でいうときに,この結果をどの程度の時間の経過のもとに生まれたものであるかを,定性的なレベルでも解釈できるようになることは,非常に有
益であろう.
#
ここで上の方法でなく,AとBという結果を比較してAのほうが収束等が早いから,Aがうんぬんというのは,説得力をもたない.AとB自体が前提としてどの
ような時間概念を持ちうるのであろうかを考え,解釈することができていないからだ.
この問題についてなぜことさらに注目するのかを説明する.
この問題はプロセストレーサブルなモデルからの過程の分析にかかわる研究上のものである.
たとえばEMoCAなはなしにおいてもそうなのだけど.
EMoCAな枠組みそれ自体はいいとして,これを用いて分析を行うことを考えるとき.進化のスピードや時間概念において解消されるべき問題があると思う.
ゼミでセンセからいただいたお言葉の”意思決定ってのはいつも行われているんだよな”のあとには”学習はそうではない.”が続くのだとおもう.
進化の表現としての学習は,必ず行われるとするのではなく,選択的に行われていると考えるのが自然であろう.
とするならば,学習の間隔が進化のスピードを表現し,これが過程を分析する上で,解釈のよりどころになると考えるのも,また自然であろう.
しかして,この学習の間隔をしめす進化のスピードは,事前的にまた恣意的に決定されているのが,現状である.
そして,その決定にしたがって,解釈のためのフレームを持つことなく,解釈フリーの状況にあるのではないか.
これを回避するために,解釈のよりどころとしての,進化のスピードの把握のための方法論が求められていると.
ま,その方法論の中身は書いてしまうとアレなんで,書きませんけど.
Posted by ysk5 at April 14, 2005 10:46 PM
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