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April 30, 2005

む.

軽やかにはるか先のゼミ資料作成終了.

そして就活収束のぬみ会にいってきたのであった.

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April 29, 2005

ゴミ

http://www.city.nishitokyo.lg.jp/kakuka/gomi/osirase/05041501/index.html

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April 28, 2005

新入生歓迎コンパ

いってきた.
3年生は元気がよろしいようで,非常に楽しかったと.

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April 27, 2005

イン・ザ・プール

奥田 英朗.「イン・ザ・プール」.文藝春秋,2002年.

空中ブランコからの枝葉.

空中ブランコのほうが,メッセージ性というか短編集の形をとりながら,深層構造においては,それぞれの物語がリンクしているとみたときに,よさが光ると思った.

ともあれメモ.
この表現は,いつかきっとどこかで使えるはずだ.
ぼくは,作家さんのなんてことのないような記述の際の,そのうまさに関心を持っているみたいだ.

下痢は1週間ほど続き,症状がやわらいだ.その代わり,内臓全体に落ち着きがない.常にザワザワとしていて,まとまりに欠けるのだ.これを説明するのはむずかしく,最初に医師と対面したとき,「内臓が学級崩壊みたいになって」と訴えたら声をあげて笑われた.
pp.9

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何のためのソフトウェア開発?---目的設定におけるメタ的視点の必要性---

む.
酔っぱらっているし,現在も補給中なので,長文いくよ.
きょうJASMINがらみで,”経営からみた情報システムの課題と解決策”という演題で,日立公共システムエンジニアリング株式会社取締役社長の正坊地
氏の講演会をきいてきた.
なんか途中ですごくねむくなって大変だったのだけど,質疑応答のときにさせていただいた質問をもとにメモをしておきたい.
講演の中で,藤本センセの”能力構築競争”の深層の競争力強化の概念をソフトウェア開発に当てはめて,日立公共システムエンジニアリングとしては”業務ソ
フトウェア開発のもの造り力の強化”を目指していきたいという,おはなしをいただいた.
しかしぼくはこの議論に違和感を覚えた.
たしかに能力構築競争における自動車産業の深層の競争力強化の概念と,ソフトウェア開発のそれとは同型性が認められるだろう.この点については,きょうお
はなしをきかせていただいて,気づかせていただいたので,非常にありがたかった.
がしかし,このはなしは,論ずるべきレイヤーにおいて違和感がある.
自動車産業での能力と,ソフトウェア開発産業での能力について考えるとき,ソフトウェア開発産業での能力を”ソフトウェア開発力”ととらえていいものだろ
うか?
ぼくは明らかにソフトウェア開発産業での能力は”問題解決能力”でとらえられると考えられる.
それは,”何のためのソフトウェア開発?”という問いに答えることで,おのずと明らかになる.
ぼくは,ソフトウェアの開発はあくまで手段であり,その上位の概念としてそのソフトウェア(開発)から実現したい目標というものが存在し,これこそがソフ
トウェア開発会社が提供するサービスの内容であるべきだと考える.
とするならば,目指すべきはソフトウェア開発力ではなく,問題解決能力であろう.
そして企業目標である”お客様の信頼にこたえる新たな価値を提供し,公共分野のエクセレント・ソリューション・カンパニーになる”ことを実現するために
は,メタファとしてはたとえば野中センセの知識創造プロセスとかのほうがベターなのではないか. #
そのプロセスの中での深層の競争力強化については否定しない
という趣旨の質問をあまり失礼にならない形でさせていただいた.
さらに付け足せば,このおはなしを聴いて,目的設定におけるメタ的視点の必要性について考えていた.
目標を設定するときには,やはり,その目標自体がどうであるかの検討が必要であろう.
むしろ,その検討の基準をビジョンとして示すのが,ある意味でトップの責務ではないか.
ぼくが覚えた違和感のもう一つの源は,会社のトップであられる正坊地 氏からこのようなおはなしを聴いたからであろう.
ただ,それについては判断を留保したい. # 企業体のトップとしての企業体の成員へのものではないから
その後の懇親会でも,かなりこのはなしに拘泥して,モジュール化とデ・モジュール化の観点からの自動車産業とソフトウェア産業の違いについてや,知識創造
プロセスを考慮した開発のあり方について,大仰にいえば議論のようなものをさせていただいた. #
ぼくみたいな若造のおはなしをやさしくていねいにお聴きいただきましてありがとうございました
とは別に.
JASMINの中のかたへ.
お酒とご飯がでたので,1食分浮きました.ありがとうございました.

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April 26, 2005

山ん中の獅見朋成雄

舞城 王太郎.「山ん中の獅見朋成雄」.講談社,2003年.

帯がですね,煽りすぎだとね,そう思います.

かんたんにいうと”千と千尋の神隠し”の構造をもった物語.

あっちの世界に行って,新しいわたしになりました.でも,ほんとうにそうなの?じゃあ,昔のわたしって?やっぱり,昔のわたしも今のわたしもわたしでありたいのだ.わたしという存在はわたしであるということで実現され,そこでは名前なんて関係はないし,意味もない.
ということを鬣(たてがみ)に意味づけして,おはなしは進む.

背中の鬣を完全に失い,僕は新しい僕になる.前まであった僕は完全に失われ,どこかが決定的に変化している.端的に言うと,もう僕の背中の上に,毛がない. pp.157
僕はもう変わってしまったのだ.あのトンネルをくぐる前の僕にはもうなれないし,あの頃の僕ももう戻ってこないんだ.僕は諦めなくてはならない.目の前に ある僕で何とかしなければいけない.新しい僕のままで何とかやっていかなくてはならない.そんなこと知っていたし,そうするつもりだったし,新しい僕を受 け入れていたつもりだったし,前の僕なんてどうでもよいつもりだったのに,墨を握った瞬間,僕はあっという間に昔の僕を取り戻そうとしていた.昔の僕にな ろうとしていた.昔の僕に返ったつもりになっていた. pp.193-194
石海めー,この野郎,馬,ちゃんといたじゃねえかよーと思って,僕は泣く.そう思う僕が,ここに来る前の僕とつながっていて,今の僕は前の僕とは完全に違うと思っていたけど,そうではなくてどこかでやっぱりつながっているんだと知って,僕は泣く. pp.231
さいきん本ならば何でも面白いという状態なので,程度問題でしか語れないのだけど,少 々期待していた水準までの面白さがなかったと思う. このへんは出会いの問題なので,もう一回読んでみたら,変わるかもしれない. けど,そう思ったことは書いておく.

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April 25, 2005

早めに帰ってきたので髪をきったら

もっさんチックな感じになりました.

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秋ヶ瀬公園---荒川---秋ヶ瀬公園

M部くん新入歓迎会.
ま,いろいろあってこのサマリになった.

============
DST:23.09km
AVE:20.8km/h
MAX:44.5km/h
ODO:1631.7km
============

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April 24, 2005

空中ブランコ

奥田 英朗.「空中ブランコ」.文藝春秋,2004年.

サックリと読了.
おいしゅうございました.

基本的にはガーッと読んで,面白かったーって本だと思うのだけど.
けど,それだけじゃなくて,なんていうか救いってものは探しているときにはなかなか見つからないけど,ふと気づいたときにそこにあるんだ,ってのを伊良部さんというキャラを使いつつ,しれっと書けてしまうのは,すごいなーと思った.
と,メールで書いた感想を転載.

またひとつ壁を突き抜けた気がした.自由とは,きっと自分でつかむものなのだ.
pp.139

人間の宝物は言葉だ.一瞬にして人を立ち直らせてくれるのが,言葉だ.その言葉を扱う仕事に就いたことを,自分は誇りに思おう.神様に感謝しよう.
pp.265

気づくということが救いで,それを促進するのが精神科医なのかな.

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出口(2002)

出口
弘.”システム方法論---エージェントベースアプローチによる社会経済システム論の再構成---”.社会・経済システム,No.23,pp.22-
28,2002.
社会科学の領域におけるエージェントベースアプローチの方法論的な検討が行われている.
いわれているvalidityの取り方がさいきん確かに有効であると思ってきた.
それは,結局のところABMなそれの指向するものって,意思決定支援であるから,これを実現したいと考えているときに,単一のモデルからではなく,それぞ
れのアプローチによるモデルから接近することで,問題関与者およびモデル構築者自身が知見を得つつ,意思決定過程にinvolveされて,よりよい意思決
定とともに,よりよい合意・同意のもとに意思決定が実現することが期待できるような気がするからだ.
そして,これこそがいい意思決定であり,パフォーマンスの実現が期待できるものであろうと.

ABMによる社会経済システムのモデル化が上のような意味で妥当性(Validity)を持つかについて我々は十分な方法論を必要とする.
出口(2002) pp.27

さらに筆者等によって主張されている,シミュレーションと数理モデルとゲーミングという3つのモデルを相互に比較しながら発展させていく技法がある[11].出口(2002) pp.27

これは現在のABM/ABSな研究で多分に見られる傾向があると思う.
結果も大切だが,それを生み出した方法もまた非常に大切だ.結果のみ,それっぽくて気持ちの良いものが多いけど,なんのための研究か.
確固たる方法論の構築を指向した研究が必要で,それが欠けている.

テクニックではなく,研究へのアプローチの意味と限界,思想が問題とされる必要がある.方法論のないテクニックだけのアプローチは,既に存在している研究
プログラムに依拠していることを意味している.だがその研究プログラムがどのようにして成長してきて,オーソライズされたかについての反省抜きの技術は,
学問のための学問を縮小再生産するだけである.
出口(2002) pp.27

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学習をとりいれたシミュレーションは何のためのシミュレーションか?

酔っていないけど,歩きながら考えたのでメモ.
始点として,学習を選択的な行為であり,意図と意志から実現されるものであると考える.
さらに,低次の学習と高次の学習についてArgyrisの4つの学習をstrictに解釈するとする.
とするとき,組織の学習の問題は低次の学習であるsingle-loop learningより,高次の学習であるdouble-loop
learningに焦点が当たり,この学習をどうやって生起させるか,そしてどうやって効率的にこの学習を実現させるかが,この領域の中心問題であるとい
えよう.
double-loop
learningをどうやって生起させるかについては実証研究およびフィールドリサーチによるアプローチが有用であり,またある程度の成果が提出されてい
る.
しかし,どうやって効率的にこの学習を実現させるかについては,実証研究のアプローチが得意とするものではない.これを明らかにするためには多分に組織の
振舞いを考慮する必要があるからだ.そこで,シミュレーションベースのアプローチが手法的な特性から候補として上がってくる.
しかし,学習をとりいれたシミュレーションにおいては十分な手法が確立されていない.
ここではシミュレーションに,振舞いの記述とそこからの含意としての意思決定の支援が実現されることを期待したい.
たとえばSOARSにおけるethnographic data
miningのような意味での有用性を伴ったものを考えたいのだが,例えばピュアなinverse
simulationなアプローチでは学習をとりいれた文脈においては,不十分だ.
それはピュアなinverse
simulationがある意味で意思決定支援の枠組みしか持ちえないからだ.そこで,振舞いの記述の枠組みを持たせることが必要になる.
しかし,単純に収束過程をプロセスとして見るだけでは,SOARSのようなステップ概念のレベルでの含意を持たせることはできない.ここではGAが時間概
念と解釈され,これによって経過を考えているが,GAはdouble-loop learningの表現として使われている.
始点として,学習を選択的な行為であり,意図と意志から実現されるものであると考えるのだから,学習の生起に対してナイーブな期待を寄せることはできない
(特にdouble-loop learningについて)のだ.
じゃあ,新しい方法論を考えるしかないよなという,僕の研究の出発点にくるわけだ.

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April 23, 2005

んあー

胃がアレな感じなので,おかゆ.
もやしのみそ汁を飲もう.
胃は大切にしよう.

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April 22, 2005

非常に腹立たしいのだが

お腹がゆるくてお酒を飲めないかんじなんで,しょうがないのではるか先のゼミのレジュメを作ってしまうことにした.
1時間作業したらお風呂に入って,ゆっくりと本を読んで寝よう.
どうせあしたも6時に起こされるのだし.
とかいいつつ,やっぱり飲むのだった.
というか通常時より多く飲むのであった.(メッセというメディアのせいで)
やばーい.
おきてみたら胃痛からくる吐き気がこんにちわ.

Posted by ysk5 at 09:19 PM | Comments (0) | TrackBack

April 21, 2005

思索の結果の収穫期

っぽいです,いま.
だから,サーベイ関連は待ち行列の後ろのほうに配置しておりますので.
あと,関係ないけど,お酒飲んだ翌日の午前中の思考の冴え具合は異常.
みなさま,お試しあれ.
さらに関係ないはなし.
酔っぱらってきたせいかもしれないけれど,さいきんかなり充実しているなと思っている.
一言で言うと,とっても楽しい. # 知的に,とかそういう意味ですよ.
まあ,自己言及的に充実しているということで,それを実現できるのならば,それもまたよしと思ってわざわざ書くのだけど.
以上,アル中かつ高血圧な人間の戯れ言でした.

Posted by ysk5 at 10:57 PM | Comments (0) | TrackBack

応用システム論 #02

お酒飲んでいるので@自宅,長文を書くよ.

まず.
朝何も食べてなかったせいで,お腹がぐーぐー鳴って,まわりのかたごめんなさい.

ともあれ.
確認テストで”システム思考の特徴を説明せよ”という問題が出て,考えさせられた.

なぜ考えたかというと,システム思考について


どちらとしてとらえるべきか,わからなかったからだ.
さらに,この2つのどちらとしてとらえるかで,解答が異なると考えたからだ.
これを以下に示したい.
システムとして思考するととらえるときは,換言すればシステム認識といえるから, システム認識の特徴を示すべきだと考えた.
しかし,システムをもちいて思考するととらえたときは,問題をシステムとしてとらえるということの特徴を示すべきだと考えたのだ.
果たして,後者の解答を書いたのだが,まわりの人は前者の解答を書いていたようだった.
再履修なのに,ごめんなさい.
つか,問題文が解釈の多様性を許しすぎる.
多分センセはおわかりになってらっしゃるのだろうけど.
ま,でもなかなかシステム思考とはとか,システム思考の特徴は,とか問われることがなければ,考えることってなかなかないので(通常科学の罠),非常に有
益だなと思い,授業のほとんどの時間,これについて思索をめぐらせていた.
その後,センセにシステム思考の定義というか意味についてお聞きして,自分の考えをお伝えしたところ,”つか,2つはある意味等価ではないの?”とご教授
いただきました.
確かに,意味としては等価だなと思った.
しかして,解釈としての文脈には影響を与えるのではないかな,といま思った.
ま,受講資格ないけどテストは提出してきたので,採点してもらえるならば,それを楽しみに待ちたいなと. # 0点だったら笑えるな
これからの方針.
確認テストでは僕は即興でそれなりのテキストを書くことを強要されるということを,ある種のトレーニングとしてとらえることで,文章力と思考の集中力が向
上することが期待できるのではないかなと. # ちなみに鉛筆ないからペンで解答を書きましたっと.
これを目標にしよう.
日々の学習の成果の確認としてのテストとは,なんとあるべき姿ではないか.

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April 20, 2005

む.

酔った勢いで書いておこう.

S上くんがきょうおはなししてくださったのだけど.

規範の実現のために"Value Sharing"というボトムアップなアプローチがあると.
それはある意味で,規制的な意味合いでのルールの存在について,それを放棄するアプローチであると考えられる.

さまざまなアプローチがある中で,それを選択・考慮する局面において,なにを考えるべきかは,そのアプローチが何を実現できて,何を実現できないのかについてであろう.
さらにいうと,そのアプローチが土台としている(基礎としている)仮定についても,十分な検討が加えられるべきだろう.

# てか,そういうはなしをするときには適当なアンカーを示してくれるとありがたい,ということも書いておく.この場合ではValue Sharingって概念の提出者の論文とかね.

Posted by ysk5 at 11:59 PM | Comments (0) | TrackBack

なぜblogを書くのか

酔った勢いで,ここにおいてわざわざblogを書く意図を示したい.

大きく分けて2つある.

ひとつめは,ともあれわたしのために.
言語化というある種の表出化のプロセスを繰り返し行うことは,わたしにとって非常に有益であるし,はかない期待としてのレスポンスの可能性を考えたとき,思索の深まりをも期待できるので.
この便益は非常に大きくて,一年強やってきて良かったなと思っています.

もう一つは,imseなかたのために.
僕が2年生のときに,M戸研のかたの日記を見ていて,研究室の様子とかを知ることができたことに対して,非常にありがたく,ほんとうに感謝の念を覚えました.
だから,いつか自分がそのような立場に立ったとき,研究や日常の様子を公開することで,すこしでも判断のための情報たりえたら,それはわたしにとってもうれしいことであると思ったのです.
# 知りたいと思った人が,できる限り情報にアクセスできる状態というのは,望ましいことであると僕は考えます.さらにいうとimseなひとでそういうことをなさっていらっしゃるかたが少ないということを憂慮しています.だからSystem of IMSE Laboratoriesみたいなのを書くのだけど.

なんだかんだいって,ぼくは今年で高校から数えて9年目なひとなので,早稲田を愛しているし,imseも愛しているのです.
愛しているからこそ,僕ができることならば,少しでも貢献したい,そういう気持ちが多分にあります.
それは僕自身現状のimseに満足していないし,もっと素敵な場としていきたいと思っているからです.

自分にできることは大したことではないけれど,それでもやっぱり,少しでもほんのちょっとでも,お役に立てることができたならば,うれしいしありがたいし幸せだなと,そう思うのです.

ま,そういう気持ちと意図でもってして書いています.

Posted by ysk5 at 11:09 PM | Comments (0) | TrackBack

センセにCV書いてください!とお願いしたら,メンドイからなーとお断りされてしまったぬみかい.

数学ゼミのあとで.

僕は.systakaにおける情報化委員としてのロールを果たしていきたいと思っているので,CV(curriculum vitae)をセンセにも書いていただきたいなと思ったのですが.
”書くのメンドイんだよね”とファインマンさんばりの理由でお断りされてしまいました.
あきらめないけどね.
# てかセンセはネットワークコミュニティ的な思想にぎりぎりかぶれていない世代なのだろうか?

僕としては,.systakaには,blog or Wikiなアウトプットの表現とリサーチの方法も,かならず浸透させたいと思っていますので,これもセンセにさりげなくお伝えすることで,結果としての教育というか理解というものを実現したい感じです.

(追記)
あ,暇なM2なんで,あしたの応用システム論に参加しようと思っています. # 仕事がなくもないようなので
ステークホルダーのみなさま,どうぞよろしくです.

Posted by ysk5 at 10:55 PM | Comments (0) | TrackBack

システムアプローチによる研究の分類

焼き肉食べてきたので,自宅で不足したアルコールを補給しながら,きょうの通学時間に思いついたことをメモ.
よくまとまっていないけど,酔っぱらいクオリティだから,気にしない.

まずはシステムアプローチを示したい.

このとき,理想的状況の記述モデルを指向するものをType A,解決策を指向するものをType Bとしよう.

基本的に,問題状況自体についての理解が行われていると考えたときには,Type AよりもType Bが指向される.

さいきんの僕の考えているところである,進化的アプローチの方法論的検討に絡むことだけど.

ちょっと分類すると,研究には


の2つの類型が存在する.

進化論的アプローチでは,本来的には”Aをふまえて,Bである研究”が望まれているというのに,”Bに見えて,Aである研究”が多くないであろうか,と考えた.
学習の生起に対するナイーブな期待でも書いたのだけど,学習に対するある種の理想状態の想定は,”Bに見えて,Aである研究”でしかない.
求められているのはむしろ,”Aをふまえて,Bである研究”であって,理想状態の実現のための研究である.

これはある種のパースペクティブや問題の認識の問題で,(1)disciplineに囚われていたり,(2)ある種の通常科学的なリサーチが引き起こしている事態であると考えられる.

で,その進化的アプローチの方法論について検討を加える余地が多分にあり,また必要ではないだろうかというのが,僕の考えだ.

Posted by ysk5 at 10:31 PM | Comments (0) | TrackBack

むー

なんと11時に起床.疲れているのか.

全然納期が先の輪講ゼミのレジュメを作り始めたり.

雨降ってるから,学校行きたくない.と書くことで,行くためのふんぎりをつけると.

Posted by ysk5 at 02:33 PM | Comments (0) | TrackBack

April 19, 2005

学習の生起に対するナイーブな期待

歩きながら考えていたら,言葉が湧き上がってきたので,ドラフトのドラフトくらいなクオリティでメモ.

社会科学におけるピュアな進化論のアプローチでは,学習の生起に対するナイーブな期待がなされている.
期待の中身は,2つからなる.
種の淘汰と同様に,選択と突然変異から進化が実現されるというものである.
そして,進化は学習として解釈される.
そのため,種の淘汰とおなじように,当然にまた自然に,学習が生起すると考えられている節がある.

学習の生起は,しかして,選択的で合目的的な行為としてとらえられるべきではないか.

上で述べた不自然な期待は,解釈の方向性が逆であることが原因であると考えられる.
進化は学習として解釈するのではなく,逆に,学習を進化として解釈するべきだ.

このように考えるならば,学習の生起をナイーブに期待することはできなくなる.
学習は選択的に行われ,その解釈・メタファとして進化を利用し,これを選択と突然変異として表現する.
これこそ,自然であろう.

そして,このパースペクティブからは,既存の進化的アプローチの分析における軽率な問題点が明らかになる.
学習の生起を時間の経過としてそのまま解釈していいのだろうか,と.

Posted by ysk5 at 11:23 PM | Comments (0) | TrackBack

許容範囲内で,実行可能であろう行動計画

さしあたって食事とストレスについて思いついたものを.

Posted by ysk5 at 11:05 AM | Comments (0) | TrackBack

ランス今年のツール後引退するらしい

http://www.nst.com.my/Current_News/NST/AfpNews/200504190612181113862338.6/indexb_html

Posted by ysk5 at 07:51 AM | Comments (0) | TrackBack

むむ.

.systakaなアレ.
MXレコードやっと上位のほうでも更新されたっぽいな.
しかし肝心のAレコード不安定ではありませんこと?

Posted by ysk5 at 07:44 AM | Comments (0) | TrackBack

April 18, 2005

どうやらほんとうに高血圧っぽい件について

ことしの健康診断書はあきらめました.

診断室でショパンとサティがかかっていたせいだといってみる.
計るときサティってどうだろう.

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自宅---上石神井---自宅

かれこれ1ヶ月乗ってませんでしたか.
旧T中コースをゆっくりと.

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DST:12.12km
AVE:21.6km/h
MAX:38.2km/h
ODO:1608.6km
============

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塩沢(2000)

塩沢 由典.”システム・アプローチに欠けるもの---経済学における反省---”.社会・経済システム,Vol.19,pp.55-67,2000.

下からも,タイトルはつまり,経済学におけるシステム・アプローチに欠けるもの,というように解釈していいと思う.

社会・経済システム学会は,「社会的・経済的事象に関するシステム研究」(同創立趣意書)を目指して1982年に設立された.わ
たしは創立当時からの会員ではなく,なぜここで,単に「社会・経済システムの研究」でなく,「社会的・経済的事象に関するシステム研究」という表現をもち
いたのか,その経緯を知らない.経済学の分野にあるものとして推測するに,経済システムないし社会システムというとき,市場経済や計画経済といったシステ
ムないし体制の研究と混同される恐れがあったということであろう.それを退けるわけではないが(現に,比較経済体制研究は,この学会に参加する経済学者の
主要な関心事のひとつである),そのような研究に限定して理解されることを避けて,よりひろく「社会的・経済的事象に関する」研究を目指すという宣言で
あったのだろう.さらに,「システム研究」という部分にも,「事象に関するシステム研究」という以上,「システムを研究する」という意味よりも,「システ
ムとして研究する」あるいはより正確には「システム理論をもって研究する」,「システム思考により研究する」という主張ないし意気込みが込められていたに
違いない.以下では,このように解釈された「社会的・経済的事象」に関する「システム研究」について,主として経済学における回顧と反省を込めて考えてみ
たい(1).塩沢(2000)

合理的選択理論には問題がある.しかし,システム論にも理論的(アプローチ的)に欠落があった.
であるとするならば,どうすればいいのだろうか?

合理的選択理論の問題点は,個人の選好や確率判断を所与とし,個人はなんらかの最適化行動を行っているはずだという問題設定にある.このような問題設定に
対し,さまざまな異論が提出されている.選好関係の社会的な形成,計算能力の限界,問題と状況の不明確さ,関連変数の恣意的抽出などである.このような問
題点があるにしても,方法論的個人主義が立てた基本設定=「人間はなんらかの判断にたって意思決定を行っている」ことを否定することはできない.システム
論は,その出自を生物学や工学においており,このような問題状況における人間の理論をもたなかった.この点に,システム理論の大きな欠落がある.
塩沢(2000)

ここでは,エージェントベースアプローチがその欠落を埋めてくれるであろうとしている.
ここではソフト・システムを例にとって説明をしているけれど,この意図は,ハードなシステムとして経済システムをとらえる合理的選択理論とのコントラストを強調するということであろう.

「内部モデルを形成するエージェント」という見方は,チェックランドのソフト・システム以降,ロボティクスなどと問題意識を共有するところから育ってき
た.チェックランド(1985)は,人間を含むソフト・システムにおいては,問題と状況の双方が明確には定義されないところから出発せざるを得ないことを
強調している.問題解決にあたる認識者の立場を自律エージェントと置き換えれば,かれのもつ内部モデルが一義的に確定しないことは,ソフト・システムのモ
デル化として当然の前提である.そうだとすれば,内部モデルを参照してなされる行為も一義的に定義されるものではなくそこから形成される経済過程自体一義
的に確定されない.重要なのは,そのようにして形成される経済過程を観察することにより,主体の内部モデルが変化・修正されることである.エージェントの
行動と全体過程とは相互に規定する関係にある.このことは,自律的エージェントの問題において,方法論的個人主義が成り立たないことを意味する.
塩沢(2000)

特に社会科学の領域においては手法・理論の検討は非常に重要であるというのはさいきんのサーベイから分かってきた.
ある種哲学的な出発点から方法論を構成的に作っていくこと,そしてテストを通じて常に検討を加えていくことが,あるひとつの有用なそれであるための必要条件ではないのかな.

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四日間の奇蹟

浅倉 卓弥.「四日間の奇蹟」.宝島社,2004年.

このミスの第1回大賞の作品.
これミステリーとしたとき,ミステリーであるとは,自らがミステリーであると規定することによって決まるのではないかな,と思った.
ともあれおいしゅうございましたが.

喪失の悲しみを越えて,獲得の悦びに達するためには,生きているというそのことを強く感じることと,自分の未来に手を差し伸べて生きようと思うこと.
この2つが奇蹟を生むのかもしれませんね,というおはなしだと思う.

運命に責任は生まれようがない.運命ってのは,決まっているものだから.
しかして,そういった緩やかな救いのもとに,幸せって生まれるのかもしれない.
生かされている,けれども,生きている.こう考えるのは伊坂さんのラッシュライフとも同様かな.

あたしはでもね,誰かの運命に誰かが責任を負うことなんて,本当はできないんじゃないかなって,時々そんなことを思います.
pp.134

肉体という装置によって,確かに僕らは生かされている.だがやはり,生きているのは僕自身なのだ.そして僕は,僕が生きているという事実に,それを前に進めるために,僕自身の手を差し伸べるべきだった.
pp.498

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ぶつぎれな睡眠しかできない件について

なんかもう,逆にこのままうまくいけば,4時間程度の睡眠でよく寝たと思えるという,老齢期のすばらしい能力を獲得できるような気がしてきた.

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April 17, 2005

藤本(2000)

藤本 隆宏.”実証分析の方法”in 方法としての進化,pp.51-84,進化経済学会・塩沢 由典(編).シュプリンガー・フェアラーク東京,2000年.

いや,藤本センセ,こんなすごいテキストをお書きになるかただと思っていませんでした.
Chattoe(1998)でも同様に進化的手法についての検討されているような気がするけど,断然日本語のほうが分かりやすいので,ありがたい.

このような検討のしかたは実に自然であるが,しかしあまりみられない.
ある方法論を使うときには,それ自体の理解がまずあるか利用とともになされていくべきであると思うけど,実際は利用が先行してしまうケースがままあると思う.
ぼくは砂上の楼閣の建設作業員よりかは,その砂を潤いのある大地にしたい,という気持ち.

また手法のvalidationの取り方において,生物進化論でいわれているのだから,というある種の同型性についての盲目な仮定が,奇妙な説得力をもっているということは,問題であると思う.
その同型性自体に対する検討はやっぱり必要であろう.


まず,実証的な社会科学に適用される「進化」概念が,何を意味し,また何を意味しないか,筆者なりを基本的な考え方を示すことにしよう.出発点として,社
会システムに関する進化概念の意味するものに関して,以下の認定基準を想定したい.(1)「進化」という言葉をわざわざ使う限り,それは単なる「変化」と
いう以上の内容を持つべきである.(2)もともと生物を対象に発達してきた理論体系なのだから,社会現象に対する進化論は,現代における生物進化論と少な
くとも基本的な論理構造を共有すべきである.(3)そうはいっても,生物の体系と社会体系は当然異なるのだから,生物進化論の通説をそのまま社会現象の進
化論に流用すべきでない.
藤本(2000) pp.54-55

ここでは機能論とはある種の規範的でフォーマルな振舞いの仮定からきていて,発生論はそのとおり振舞いの発生的な仮定から来ていると思う.
自分のアプローチについて言及すれば,規範的で目的論的事前合理的なシステムがどのように発生するのか,その過程を分析することでその過程やシステムの理解を深めることが必要であるという立場か.

第二に,システム自身あるいはシステム創造者による「存続の意図→機能のデザイン→構造のデザイン→構造の実現→機能の実現→存続の実現」という目的論の
構図,つまり事前合理的なシステム・デザインの存在が推定されるケースがある.この場合,発生論といっても,単に前述の機能論(構造→機能→存続)の逆関
数にすぎないので,わざわざ発生論を付け加える意味はあまりない.例えば合理的な製品開発活動は,構想→機能設計→構造設計→構造→機能→市場での生き残
り,という経路を辿るが,かりにあるシステムが,このような整然としたデザイン活動の結果生まれたと信じる理由があるのならば,機能論と別に発生論を持ち
出す意味はない(図2.3b).
藤本(2000) pp.77-78

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April 16, 2005

塩沢(2000)

塩沢 由典.”進化経済学の課題”in 方法としての進化,pp.29-50,進化経済学会・塩沢 由典(編).シュプリンガー・フェアラーク東京,2000年.

進化経済学がどういう存在であるか,つまりわたし(進化経済学)がわたし(進化経済学)であるということを知るための論文.
進化経済学の方向性や手法,課題について検討している.

ここでの選択とは選択状況,その選択の考えられているよさの表現として使われている.
たしかに,(ほぼ完全合理的な)予想に基づく選択から,その選択の確度の保証されない実績に基づく選択へと,概念レベルでの大きな変化が新古典派とのパラダイムの間で存在すると思う.

ひとつの商品の存続・廃止には,このように多数の人々の判断とその集計機構および繰り返しなされる存廃の判断が関係している.こ
れは,けっして事前の評価,予想に基づく選択ではない.事前選択に対して,これを「事後選択」と呼ぶことができようが,事後選択という概念にはすでに指摘
した基準点のあいまいさという難点がある.「事後選択」という表現が適切でなければ,「実績に基づく選択」と呼んでもよいだろう.このとき,事前の選択は
「予想に基づく選択」と呼び変えることができる.新古典派では,選択をもっぱら予想に基づくものとしてきたが,選択の対象を一回限りの行為から繰り返され
るパタンに転換するとき,まったく新しい選択のメカニズムが浮上してくる.それが「実績に基づく選択」である(塩沢由典,1998b).経済の進化過程に
おいては,選択されるものは複製子であり,それを選択対象と考えることにより,進化経済学は「選択」概念そのものを変えているのである.塩沢(2000) pp.37-38

複雑な状況において,たしかな知の獲得が危ういなかで,それでもどうにかしてよりたしかな知の獲得を目指していく,というのがコンピュータ・シミュレーションによる研究法の根本の思想にあると思う.
それはコンピュータ・シミュレーションの結果がひとつの現実として存在しうるという意味での,知でありうるという了解性から展開されると思う.
ので,この出発点が理解されていないとき,このアプローチはおはなしにならないので,手法自体の理解や了解のための記述というのが重要になってくるよなと思った..

コンピュータ・シミュレーションは理論と実験に次ぐ,第3の科学研究法と見なすべきものである.それは進化経済学のための新しい枠組みを提示している.こ
のようなシミュレーションには,正確には再現不可能なものもある.実験結果からあるストーリー(話の筋)が得られる場合でも,そのようなストーリーがどの
くらい一般性をもつものかは,たしかな形では主張することができない.出発点での諸変数をさまざまに変えることにより,ある確率でそのような事情が生起す
ることが推定されるに止まる.しかし,コンピュータ・シミュレーションで得られた結果には,普通言語による話の筋の叙述すなわちナラティブに適したものが
多く,形式理論からは得られないさまざまな知見が得られる可能性がある.
塩沢(2000) pp.46

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April 15, 2005

教育に興味が出てきた件について

例のごとく酔っぱらっていますが.
さいきん,imseな専攻らしくないのだけど,教育に興味がでてきた.
きっかけは,近くの小学校なのだけど.
ぼくのうちと最寄り駅の間に小学校があって,つまり毎日学校に行くときに小学校の前を通るわけです.
そのときに朝早いと,校長センセが生徒と門のまえでむかえている.
で,そのときの挨拶の様子とかを見ていて(おはよう!おはようございます的な),何でか分からないけれど,いいなと感じた.
あと,用務員さんの生徒に対する姿勢とか.
文脈としては,世間にはいろいろな人がいて,いろいろな境遇の子供がいる,というはなしをきいていて.
また,地域を含めた教育の流れということについておさえていたということも伴って.
もとからお金にはたいして興味がなかったのだけど,もし自分が教育に携わることができて,それによって,すこしでも,子供たちの未来のために役立つことが
できたのならば,それはわたしにとって,実はすごくうれしく,また幸せなことなのではないかと,最近思い,感じだしたわけです.
なんというか,たいへんおこがましいというか,傲慢な思考ではあると思うのだけど,少しでも,どんな形でも,携わることができたらいいなと,そう思ってい
ます.
しかし,教職課程はとっていなくて,あと3年くらい学生であることを考えたとき.
直近でできることってあるのかな,と考えた.
わかんね.
でもさ,自分の気持ちを信じたい,そうも思うわけだ.

Posted by ysk5 at 10:37 PM | Comments (5) | TrackBack

目覚ましとしてのお隣さん

朝6時,わたしが穏やかな眠りの森にいるときに,プゲラッチョな音楽を大音量で流すことですばらしい森から引きずり出してくれるお隣さんが大好きです.
# プゲラッチョな音楽とは,ぼくがよさを理解できないけど,何となくおしゃれでそれっぽいと見なされていそうな音楽のことを指しています.
そして,夜12時過ぎに,ぼくが静謐な雰囲気の中,楽しみであり趣味であり生き甲斐であるところの読書をしているとき,これまたすてきな品性の伴わない大
音量でテレビをご鑑賞されるお隣さんが好きです.アルコールがなくては,勢いで寝られない感じであります.
これでわたしは2時に寝ても,6時に起きられるという,なんとも一見生産的な生活を実現できております.
ところで,あしたもう一度血圧を検査してもらいに行こうと思っている.

Posted by ysk5 at 12:13 AM | Comments (4) | TrackBack

April 14, 2005

解釈フリーの危険性の回避のための方法論の必要性

学習の表現としての進化の過程における時間概念
続き.
きょう学校でS上くんとおはなししたのと,センセに本をお借りするときにディスカッションをしていただいたので,何となくかたまってきた.
少し酔ってきたので,また長文を書きつつ整理をしたい.
現在の社会科学における進化的アプローチは時間的概念について解釈するための枠組みというか準拠枠が存在していない.
で,センセに”このへんの文脈で進化についての時間的概念について考えているような研究ってありますか?”とお聞きしてみたら,”単独でそういったものは
ないし,おそらくないと思う”とのご返答をいただきました.で,”それってばつまり興味がないからってことですか?”とお聞きしたら,”たぶんそうだね”
とのこと.
しかし,興味がなくていいのだろうか?
たとえば,SD(System
Dynamics)がなぜ強いかと言えば,それは時間的な経過をかなりの程度リアルなものと結びつけて,結果を分析することができるからである.
この分析はすなわち,意思決定のための大きな支援となるだろう.
一方で,現在の進化的アプローチは多様な解釈を許容する.
抽象度の高い議論において,多様な解釈を許容しうるというのは,たしかにそれ自体はある種の強みではあるのだけど.
しかし,あまりにも多様な解釈を許し,解釈フリーな,なんでもありな状況ではないであろうか.
解釈のための結果,解釈のための実験にどれほどの意義が残っているであろうか?
ここで,解釈を支援する方法論が必要となってくるのではないか.
例えば時間概念でいうときに,この結果をどの程度の時間の経過のもとに生まれたものであるかを,定性的なレベルでも解釈できるようになることは,非常に有
益であろう.
#
ここで上の方法でなく,AとBという結果を比較してAのほうが収束等が早いから,Aがうんぬんというのは,説得力をもたない.AとB自体が前提としてどの
ような時間概念を持ちうるのであろうかを考え,解釈することができていないからだ.
この問題についてなぜことさらに注目するのかを説明する.
この問題はプロセストレーサブルなモデルからの過程の分析にかかわる研究上のものである.
たとえばEMoCAなはなしにおいてもそうなのだけど.
EMoCAな枠組みそれ自体はいいとして,これを用いて分析を行うことを考えるとき.進化のスピードや時間概念において解消されるべき問題があると思う.
ゼミでセンセからいただいたお言葉の”意思決定ってのはいつも行われているんだよな”のあとには”学習はそうではない.”が続くのだとおもう.
進化の表現としての学習は,必ず行われるとするのではなく,選択的に行われていると考えるのが自然であろう.
とするならば,学習の間隔が進化のスピードを表現し,これが過程を分析する上で,解釈のよりどころになると考えるのも,また自然であろう.
しかして,この学習の間隔をしめす進化のスピードは,事前的にまた恣意的に決定されているのが,現状である.
そして,その決定にしたがって,解釈のためのフレームを持つことなく,解釈フリーの状況にあるのではないか.
これを回避するために,解釈のよりどころとしての,進化のスピードの把握のための方法論が求められていると.
ま,その方法論の中身は書いてしまうとアレなんで,書きませんけど.

Posted by ysk5 at 10:46 PM | Comments (0) | TrackBack

April 13, 2005

学習の表現としての進化の過程における時間概念

例のごとく酔っぱらっていますけど,ちょっとまとめておきたい.
# きょうはこれについて考えたかったので,ぬみをおことわりしたのです

中間発表の際にもふれたことだが,社会科学の文脈で進化的アプローチを適用するとき,進化の過程における時間概念が問題になると思う.

たとえば,レプリケータダイナミクス等を実装した進化ゲームでのタカハトゲームを考えてみるとき,期 or ステップの進行にしたがって,戦略の人口比に違いが出てくるという分析がされているけれど.
実はこの分析枠組みには大きな仮定がなされている.
それは期ごとにプレイヤが同時に必ずある種の学習(認識の変更)にしたがって意思決定を行うことである.

この仮定はいわゆる進化的アプローチのアプローチ自体に内包される暗黙の制約から来ている.
GAを例にいうと,そのアプローチの制約から,それぞれの個体は世代ごとに同時に評価される必要があり,また遺伝的操作を同時になされる必要がある.またレプリケータダイナミクス等を実装した進化ゲームでは1期前の集団の人口比が学習のために必要なので,学習において同期性を仮定する.
これらのプロセスを学習ととらえ,学習を通じて進化プロセスが表現されるとするとき,果たしてこの仮定は自然で妥当なものであろうか?
また,進化ゲームのような枠組みでの分析を行うとき,期という時間概念が与えてくれる含意はどの程度存在するのであろうか?
もし含意がないとするならば,含意を得るための枠組みはどうあるべきであろうか?
これらが関心の対象であり,問題の所在であると考える.

とくに進化的手法をとりいれるとき,その動学的側面についての妥当性が認められなければ,結果についての妥当性それ自体も,根幹から見直す必要があると思う.
たとえばレプリケータダイナミクス等を実装した進化ゲームにおいて期とはどういった概念であろうか?
レプリケータダイナミクス等を実装した進化ゲームでの期とは,意思決定単位ステップとしての,断続的で離散的な,非時間的な概念ではないか.

このように考えるとき,意思決定単位ステップが問題になる.
つまり,意思決定(および学習)がどのような時間概念を持ちうるのかということだ.
しかし,進化ゲームや現在の他の社会科学における進化的アプローチは,それに対する解を示すことができていない.
時間概念を持ち得ない意思決定は含意の面で弱みを持つ.
学習の動的側面や結果としての分析を行ったとして,それを現実の状況においてどのように解釈すればいいのかが,指針としても示すことができないからだ.

たとえば500ステップののちにある結果に収束したときに,1ステップがどういう時間概念なのかが明らかでないときに,500ステップ後の結果はどの程度の含意を与えうると言えるだろうか?
1ステップがどのくらいかかるものなのか,分からないなか,正しいであろう含意をどのようにして,この分析から得ることができるのだろうか.

と書いたとこまでで,時間切れ.クソして寝ます.
なんだかんだいって脳内整理には役に立ったので,それはそれでよし.
続きはあした書くかもしれないし,書かないかもしれない.
わたしの脳髄の調子いかんなところです.

.systakaなかたで,このへんmajorなかたへ.
特に進化ゲームについて少し調べてみたいので,ナイスなペーパーなり本なりがありましたら教えてくださいな. # メイナード・スミス読め!で終了かもしれないけど

(追記@050414)
いわゆるシンプルでプリミティブな進化ゲーム自体について誤解していたので,ちょっと表現を変更.追記部分は太文字にしておいた.

Posted by ysk5 at 11:02 PM | Comments (2) | TrackBack

April 12, 2005

読むURL

システム・アプローチに欠けるもの−経済学における反省−

あと,塩沢センセがblog始められてらっしゃるので,これを読もう.
http://e.democracy.jp/blog/shiozawa/

自己組織化について
http://en.wikipedia.org/wiki/Self-organization

W. Ross Ashby, "Principles of the Self-Organizing Dynamic System",
Journal of General Psychology (1947), volume 37, pages 125--128
がISSN:0022-1309で

所在地 :西早稲田キャンパス14号館7階
 開室時間(通常):月曜−金曜 9:00-16:00 昼休み(12:30-13:30)は閉室
          土曜    閉室http://www.wul.waseda.ac.jp/etclibs.html#sslib

にあるらしいので,いってみる.
請求番号は 140.5 J82g と.

あとは,
http://pespmc1.vub.ac.be/SELFORG.html
らへんをおさえておくと.

Ashby大先生のはとりあえず早めに読んでみよう.なんというか,これは自分のdiscipline的にもよさげである予感だ.

Posted by ysk5 at 11:42 PM | Comments (0) | TrackBack

これからの俺to do

修士論文の中間発表ゼミでの発表が終わった.

今回は問題の所在とそれに対するアプローチの説明をして,これを理解していただくことにかなり力を注いでみたのだけど,それなりに努力が実ったようでよかった.
今回の原稿に関しては,もう少し文章自体を洗練させることと,ペーパーでのイントロダクションにうまく使えるような構成を考えることが必要だと思われる.

いろいろとセンセから有益なアドバイスをいただいたので,ちょっと整理しておく.
# もうそろそろすべてをありのままに書くことはアレなかんじなんで,その辺お察しください

ペーパーにおいてどのあたりを強調して訴えていくかについて.

この2つについて新規性があり,有用性があるでしょうとのこと.
たしかに手法は社会科学領域における進化的アプローチ全般に適用可能な汎用性を持ち合わせていて,それなりにパワフルであると思う.
別にそんなに変わったことをしているわけではないのだけど.
# まあ,オリジナリティなんてそんなものかも

でto doリストもちょっと修正.

■to do

  1. スキームをはっきり・しっかりさせる # アプローチの根拠・概説
  2. 自己組織化についてrefれるような文献を勉強
    • ウルリッヒのアレ
    • マゴロウ・マルヤマ(佐藤敬三訳)『セカンド・サイバネティックス』『現代思想』(1984年12月号:198〜214頁、青土社)
  3. 定式化をしっかりする # 詳細に,精確に.Takahara(2004)との対応づけから概念の導入もれがないかチェック
  4. 手法としてのアレを確立する # 一般化というか抽象化というかその辺も含めて,手法としてスコープと実現できることを明示化する作業
  5. ミクロ-マクロ・リンクのある他研究@COTとの関連づけ # 位置付けの明確化
  6. 検証する命題をさがして,モデルのvalidationをまずとる. # generalなものでもよいよ

最初の2つが直近のそれで,優先度をかなり高めで.
■スケジュール

ぼくとしては,国内の学会で一回叩いてから国際会議のほうにいきたい感じなのですが.
まず,日本語でレスポンスをいただきたい.

ま,ともあれがんばっていきたいものです.

Posted by ysk5 at 10:59 PM | Comments (0) | TrackBack

April 11, 2005

お客様とコミュニケーションをとるときに

ぼくのお客さんは基本的に若年層なわけですが,メールなりでコミュニケーションをとるときに,コミュニケーションコストに対して過敏で,そのためにミスコミュニケーションが生じて困ることがままある.

ぼくからすればミスコミュニケーションから生じる損失・コストの方が通常コミュニケーションコストより大きいと思うのだけど.

ま,コミットメントの程度の違いから来てるのかもしれないな,その辺は.

Posted by ysk5 at 10:19 PM | Comments (0) | TrackBack

April 10, 2005

熊の場所

舞城 王太郎.「熊の場所」.講談社,2002年.

短編集.
おいしゅうございましたが,あえて表題作でない,”ピコーン!”についてメモ.

”阿修羅ガール”もそうだとおもうのだけど,ほしがる少女から与える女へと成長する過程を書いているのが,大好きです.

この作品だと,

哲也はわたしをちゃんと抱いてくれるだけでOK.わたしをバッチリいかせてくれるだけでOK.メチャ凄いファックでわたしを泣き喚かせ下半身ガクガク痙攣させてくれるだけでOK.
pp.149

だったのが,

わたしはまた少し泣いていつもよりもう少し幸せな気分で眠る.わたしにはこれからまだ長い人生がある.スペインオムレツやもう二度と作らないし作れないだ
ろうが,フェラチオの封印はこれからいつまで続くのか判らない.まだ現実感など全然ないけれど,またいつか新しく好きな人ができたらわたしの凄いフェラテ
クを披露してやろう.その人のびっくりする顔が早く見たいような気がちょっとしないでもない.
pp.205

と,成長する.

この過程を思いっきりのはなし言葉で主観的な記述でもって展開することで,なんていうかその成長を共体験したような気持ちになるんだな.これがいい.
# 舞城さんのお話は基本的に前向きだから,それもまた好きな理由かもしれない

だって,

ああわたしは悲しい.おまんこから血が噴き出すほど悲しい.おまんこから子宮が飛び出て空中でバンと破裂しそうなくらい悲しい.わたしは寝転がったまま身をよじってうめいて喚いて歯を食いしばって哲也のパパに抱きしめられながら自分の頭を叩く.考えなさい!考えなさい!
pp.175

こんな事書かれたら,子宮ないけど痛くなるような気がするでしょ.

ともあれ,少女(高校生)文体を書かせたら舞城さんが世界一!と思う.

Posted by ysk5 at 11:42 PM | Comments (3) | TrackBack

あしたの俺to do

論文輪講ゼミは脱稿.
40分くらいの割当ての時間なのに,7ページあるけどな.

いやしかし,文献ゼミのテキストを半分以上読んでおいてよかった.
当分予習は必要ないであろうからな.
あと,担当範囲が思いっきりど真ん中でぼくの専門なので,たぶん読まなくてもレジュメ書けるというのが,かなり大きい.だって,参考文献ほとんど既読だしな.

Posted by ysk5 at 10:39 PM | Comments (0) | TrackBack

Takahashi(2004)

Shingo Takahashi. "Evolutionary Agent-Based Model for Double-Loop
Learning." in Applied General Systems Research on Organizations, S.
Takahashi, K. Kijima and R. Sato (Ed.), pp.81-96, Springer-Verlag,
2004.
こんどゼミでやることにしたもの. # 読むの自体は2回目だと思うけど
この流れの研究では,組織科学に載ってるやつとか高橋,本泉(2005)を今考えているモデルを構築するときに参考にさせていただいたのだけど,本のchapterになってるやつはやっぱりまとまっていて,ありがたい.

研究の目的はどのようにしてdouble-loop learningが効率的に作用するのかを説明することとある.
で,NTDHなモデルを考えて,学習による進化の表現としてGAをもちいて,double-loop learningのメカニズムを遺伝的操作ととらえる.
とすると,効率的に作用する,そのメカニズムの解明は,適応をうまく実現するような適応度関数設計の問題に帰着する.
どのような情報に基づいて評価を行い進化をさせていくかということは,リアルなシチュエーションへの含意の面でも十分であり,それがよい適応度関数の設計ということであると.

One of the important notions to be considered in
organization theory is concerned with organizational learning. Argyris
and Schon developed the notion of double-loop learning [1,2]. Espejo et
al. [12] presented a model of organizational learning based on the
double-loop learning. An essential problem concerning the
organizational learning is to reveal its effective learning mechanisms.
So far, although there have been a lot of research on organizational
learning, there are not sufficient explanations of how double-loop
learning works effectively.
Takahashi(2004) pp.81

上述の2つを参考にしてモデルを構築していたときに,この研究でのモデルって高原センセのいうところのinstitutional layerなはなしだよな,と思っていたのだけど,ズバリその旨が書かれている.

Organizational learning is defined as the process to
progress the ability of the organization to produce effective
performance of the organizational behavior [12]. This activity is
closely concerned with the functions of the institutional level, in
which one of the main goals is to manage the varieties of the
environment and the organization.
Takahashi(2004) pp.84

このモデルだと枠組みとしては十分なのだけど,明示的な表現としての組織構造や組織のタイプにおいては,弱みがあると思う. # というか,この辺はモデルのスコープ外
で,今回のぼくのアプローチでは,この辺の表現能力の問題を解消し,より環境とのインタラクションにおいて操作性を増したモデルを指向したい所存.
In our framework an organization is represented as a
network of agents with their own internal models. The structure of the
organization is then defined based of the interactions of the
structures of agents' internal models and the network of the agents.
The improvement processes of internal models in the double-loop
learning changes the structure of an internal model, and the sharing
phase of an internal model among the agents drives the reformation of
the network of the agents. The evolutionary approach could make it
clear how each agent contributes autonomously to these structural
changes without any central control mechanisms.
Takahashi(2004) pp.94

Posted by ysk5 at 10:07 AM | Comments (0) | TrackBack

研究室のwebpageをWiki化してみたらご不評いただいた件について

”何か変な感じです”,”実験はよそでやれば”等のご好評いただきありがとうございます.

おいおい直すところは直すとして.
研究室のwebpageをWiki化したことについての意図と意志を説明したい.

目的は2つあって,

  1. 研究室内へのWikiの啓蒙
  2. 研究室のアピール

実現したいと.
前者は,weblogの次はWikiですよっというのを広めていきたいな,ということで. # レイトマジョリティーなぼくがいうのもなんですけど
なんだかんだいってそれなりに研究室のひとの目にふれるところで形からしめしていかないと,慣れてもらえないところがあると思うので.
ある程度慣れてもらったら,本来的な目的であるものを実現できたらいいなと.
その意味で”実験はよそでやれば”という感想に対しては,ここでやるから意味がある実験なのですよと.
後者は,さいきんものを伝えるときに,その伝えたい内容を伝えるためには,そのままありのままを伝えるのではなく,物語化的なことによってオーバーであっ
たり実際ではないことを通じて,結果として伝えたい内容を伝えることを実現したほうがいいのではないかと思っていることと関連していて.
研究室のwebpageの主なターゲットは研究室に入りたいなと思うひとだと思うのです.
さらにいうとimseな2年生なわけです.
じゃあ,その人に伝えたい,伝えるべきことって何だろうと考えたときに.
さいきん伝え聞くところによる,2年生の研究室への志望動機によれば,学問的なうんぬんよりも,感覚的な感情的なレベルでの判断に基づいていることが多い
ので. # いいかどうかはおいておいて
それならば,伝えるべきことは”なんかすごそう”とか”変わったことしてるな”というようなことであり.
そして,その実現の方法としてWiki化があると.
すくなくともlook &
feelは結構変わっていると思うし,何かそれっぽくもあるし,さらにいうとそれなりのwebへのコミットメントも表明できるという意味で,ぼくとしては
悪くないと判断したのです. # 内容自体はちゃんとしているし
あと,WikiのUIってどうよ?というはなしについては,imseな2年生へのヒアリングによれば,webはトップページ程度しか見たことがないとい
う,すてきな結果をさんざん得てきたことからも,閲覧者にとって”よい”UIである必要はなく,”すごそうな”UIであればいいということから,問題では
ないと思う.
なんか酔っていないのに長文になってしまったな.

Posted by ysk5 at 09:00 AM | Comments (0) | TrackBack

April 09, 2005

卒業生の集まり

いってきた.

1次会.
はなしも盛り上がったみたいで,お料理もご好評いただき,どうやらぼくのロールは果たせたようで良かったです.
ワイン,結構飲んだけど,あれってどのくらいの量なのだろう.

2次会.
きょうという日はともちゃんのために設定したのに1次会これませんて,ありえないですから!じゃあ,しょうがないので時間結構遅いけど2次会いくぞ!ということで.
ともちゃんとも無事合流できて喫茶店でおはなししてきた.

総じて,いろいろなはなしを聞けて,刺激をもらってきたので,非常に楽しかった.
がんばろうという気持ちとか,そのきっかけを感じさせてくれる機会というのは本当にありがたい.
今度は正規のOB会ってかたちで,だれかよろしくです.

最後に俺メモ.
センセに\6,500ご返金と.

=====================================
■開催予定
開催日: 4月9日(土曜日)
集合場所: 本部キャンパス大隈講堂前 18:15
開始時刻: 18:30-
開催場所: 屯(ステーキ・鉄板焼きやさんです)


1次会予算: 4000円程度
2次会予定: Y田さんコーディネートで高田馬場で

■参加の連絡をいただいたかた(敬称略)
1期生:
2期生:G藤,T岡,N野,N岡,Y田,Y田
3期生:O堀,S原,S上,T中,M谷,Y下(計10+1名)
=====================================

Posted by ysk5 at 11:12 PM | Comments (0) | TrackBack

Gmailのinvite権きた.

ほしいかた,ご連絡ください.
Gmailの説明は以下.
http://gmail.google.com/gmail/help/about.html

ちなみにぼくはいまのところ,todo管理とかに使ってます.

Posted by ysk5 at 01:39 PM | Comments (2) | TrackBack

April 08, 2005

論文ゼミのマルタソ物件

読んでみた.
えーと.
これって,新規性が著しく欠けてませんかね.まんまSSMでは.
少なくとも研究の指向するものは新規性がなくはないと思うけど,現段階のモデル自体は車輪の再発名だとおもう.
ただ,分析方法が新しいかもしれないとは思う.というか,これについては判断できる知識がないので,保留.

Posted by ysk5 at 11:21 PM | Comments (0) | TrackBack

ゴリッ,ドキンドキン,ジョジョー

きょう,一緒にS上くんと健康診断にいこうとしたら,いろいろあって彼のお膝の靱帯が伸びたか,切れたか,どうにかなってしまいました.ゴリッってするみたいです,ゴリッ.

で,アイシングとかそういった
当座の治療っぽいことと,これからのスキームを診断室で決定して,お見送りをしたあと,研究室でしばしお仕事をこなし,健康診断にいってきました.
視力,体重,身長測定をおえて,血圧の計測.たぶんS上くんのきょうのことがあったので,心臓はドキンドキン.1回目でだめ出しされて,2回目の検査でも
上が134で下が92.”血圧再検査のススメ”という再検査すれ!という通知をいただきました.途中であった2年生のK林君に”お酒飲み過ぎじゃないです
か?”といわれましたが,断じて違います!これはS上くんが原因です.ドキンドキン.
で,レントゲンとって,ジョジョーと検尿して,問診して終了.
うーん,舞城さんエミュレートなかんじで書いてみたけど,ダメだな.

Posted by ysk5 at 09:54 PM | Comments (3) | TrackBack

直近の俺to do

-05/04/12


-05/04/19

Posted by ysk5 at 04:39 PM | Comments (0) | TrackBack

April 07, 2005

ドラフトのドラフト

”方法としての進化”では,かなりしっかりと進化概念を社会科学の領域にとりいれるにあたっての検討が行われていて,非常に興味深いことが書かれているので少し考えた.
で,きょうは酔っぱらってないけど,ちょっとシミュレーションの時間的経過の解釈について整理ができたのでメモ.

GAにおける進化の実装を考えたとき,その時間的経過の意味することが問題となる.
より具体的に言うならば,遺伝的操作のタイミング・間隔が問題となる.
なぜならこれがある意味での進化のスピードを規定するからで,これが適応および適応までの時間に影響を与えるからだ.

ところで,組織の特徴を考えるとき,組織の慣性とか,官僚制とは実は組織学習の存在がレアな組織のことであるとか,ネットワーク型組織はそのノード的な特徴よりも学習を頻繁に繰り返すことの方が本質的には特徴として考えられるとかいうはなしがある.

以上をふまえて.
組織が学習することで環境へと適応することを考えるモデルにおいて,遺伝的操作を学習のメタファーで用いるときに,学習が行われるタイミング・間隔を決定するパラメータこそ重要であり,これを事前的に所与のものとして与えることは,かなりナンセンスではないか.
適応へのキーとなる要因にそのパラメータがあり,また組織の特徴をそのパラメータからとらえることができることからも,このパラメータはチューニングの対象であり,適応した組織のこのパラメータを探索するための枠組みを備えることが必要になる.
で,このパラメータをメタGAなアプローチで進化的に探索させていくというアイディアがポイントになってくる.

ここまでで,時間切れ.
あしたの健康診断のために,風呂はいって,クソして,寝ます.

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April 06, 2005

3年生歓迎会

時系列でまとめておく.

  1. 3年生ガイダンス@TA
  2. 3年生が研究室に来る
  3. 飯食って,自分の仕事をする
  4. 1年生がガイダンスで研究室に来る
  5. 3年生の歓迎会っぽい何か
  6. 最寄り駅で降りたあと,同姓同名っぽい人に”残念だったね”電話を酔っぱらった勢いでかける

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April 05, 2005

あしたの俺to do

む.
朝早いな.お仕事の前にこなす行動メモ. # というかこれがむしろタスクの大部分

09時45分:52-202のマイクを借りてくる51-2F
09時50分:一度研究室にいって荷物を置いてくる
10時00分:教員室
10時10分:助手室(WIAなどの配布物を受けとる)
10時15分くらい:研究室

持ち物

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April 04, 2005

Bennett et al.(1981)

PG Bennett, CS Huxham, and MR Dando. "Shipping in Crisis: a Trial Run
for 'Live' Application of the Hypergame Approach". Omega: The
International Journal of Management Science, Vol.9, No.6, pp.579-594,
1981.
hypergameの偉いひとの論文.
Bennett(1980)がformalなはなしを中心にしているのに対し,本論文では実際の問題への応用を中心にしている.

というわけで,特定の問題について記述することと,hypergame分析の一般的な実装について考えていくと.

This paper has two aims: firstly, to describe this
particular study, and secondly, to discuss the implications for
hypergame analysis in general. There is not space to consider either of
these in much detail: the latter set of issues are discussed more fully
in [7].
Bennett et al.(1981) pp.580

船舶危機はとても複雑な問題状況であるから,2つのフェーズに分けて考えていく.
phase 1では,いわゆるhypergameのアプローチで,haypergameの言葉で,formalなレベルではなくて,構造化された問題状況の絵を描くことを目的とする.
phase 2では,必要に応じてプレイヤ間の相互作用についてフォーマルなモデル化を行うと.
The shipping crisis was clearly a very complex problem.
Whilst it might have been theoretically possible to model it formally
as a whole using hypergames, in practice this would have been unwieldy
and was anyway beyond our resources. The study therefore proceeded
instead in two phases. In phase 1, the hypergame approach was used in a
general way. This involved the identification of a number of
interactions that appeared key components of the whole system, the main
parties in each and their possible broad options and aims. Rather than
a formal model as such, our aim here was to arrive at a broad, but
structured, picture of the problem, seen in hypergame terms. Then, in
phase 2, some of these interactions were modelled formally in more
specific terms, though their links with others were still borne in
mind.
Bennett et al.(1981) pp.581

特にhypergameアプローチの強みはゲームという概念の元に,問題状況にたいしての”見方”を提供することにあると述べている.これゆえに,問題状況のシステム的な理解が可能になると.
It seems true in general that problem-structuring will be
theory-directed. Because of the view of the world it suggests --- as a
series of 'games' in which the players may have differing beliefs as to
what the 'games' are --- the hypergame approach tends to lead to a
particular way of looking at the problem.
Bennett et al.(1981) pp.591

では,実際に問題状況下の1プレイヤがクライアントだとした時に,そのクライアントにhypergame approachがどう役に立つのか,それが次の課題であると.
The next stage in the application of the hypergame
approach is cleary to work with a 'client' interested only in what the
analysis can do for him, not in helping us to test out our ideas as
such.
Bennett et al.(1981) pp.592

結局hypergame分析の強みというのは,
ということか.
これは現状のゲーム理論の機能とほぼ同等で,概念レベルで拡張されているのにこのパワフルさを持っているのは,確かに魅力的なアプローチであるな.

Posted by ysk5 at 10:44 AM | Comments (0) | TrackBack

April 03, 2005

vis-a-vis

1. Face to face with; opposite to.
2. Compared with.
3. In relation to.
from http://dictionary.reference.com/search?r=2&q=vis-a-vis

面と向かって,比較して,関連して,かな.

Posted by ysk5 at 10:29 PM | Comments (0) | TrackBack

Torys Black 2.7l

ペットボトルに入っていると,工業的なかんじをうける.
だがしかし,仮にあなたが工業的な存在であるとしても,ともにすてきな時を過ごすのに,そんなことは関係がないのでしょう.

ということで,こんにちはトリスさん.

Posted by ysk5 at 09:12 PM | Comments (0) | TrackBack

前期科目登録

点滅させたりスライドさせたりするのはよしていただけないものか.
http://www.sci.waseda.ac.jp/office/KAMOKU/grad-kamoku.html

とりあえずM2なひとは


でOKでしょうか?

Posted by ysk5 at 08:02 PM | Comments (0) | TrackBack

アヒルと鴨のコインロッカー

伊坂 幸太郎.「アヒルと鴨のコインロッカー」.東京創元社,2003年.

面白かったのだけど,ずば抜けてかといわれると,ちと困る.
構成とかはすごいなと思うのだけど,すごくぐっとくるかといったら,たぶんno.
お話が小さいからかな.
あと伊坂テイストに慣れてきているので,先読みがきくようになってしまったからかもしれない.

おはなしの説明.
過去においてはブータン人と病気の美形青年,そしてその元彼女がペット殺しの犯人を捜すという物語,そして現在においては美形青年に主人公も一緒に本屋を襲撃するという物語の2つから,全体の物語は進んでいく.
そして終わりには,過去の物語と現在の物語が重なるように,コインロッカーへと収まっていく.
といったかんじ.

つかアヒルと鴨って同じ系統だったのか.
そういえば似ているな.

わたしは辞書を1ページも開かないうちに,「(アヒルは外国から来たやつで,鴨はもとから日本にいるやつ)」と答えた.そう聞いた覚えがあったのだ.
pp.166

そして主人公は彼らの物語の中でオルタナティブとしてのロールを果たすと.
「君は,彼らの物語に飛び入り参加している」
pp.242-243

Posted by ysk5 at 02:04 PM | Comments (0) | TrackBack

さみしさの周波数

乙一.「さみしさの周波数」.角川書店,2003年.

おいしゅうございました.
”未来予報”が好みです.

自分が存在しているっていうこと,もしくは存在していてよかった,ということを感じることができるのは,駄目な人間にとっては世界との隔絶感を和らげてくれる救いとなると.

僕と同じように,清水も別の場所で僕のことを考えていた.いつも存在を気にして暮らしていた.世界中でたった一人でも,自分のことを考えてくれている人がいたのだ.結局,彼女がいなくなるまで僕はそのことに気づかなかったけど,それはどんなに幸福なことだったのだろう.
pp.60

あとこの本は挿絵がよかった(表紙を含む).

Posted by ysk5 at 01:51 PM | Comments (0) | TrackBack

ラッシュライフ

伊坂 幸太郎.「ラッシュライフ」.新潮社,2002年.

伊坂さんに恋をしました.
うまいと思うのは構成の緻密さと,タイトル,随所に見られる伊坂節.

まとめてみる.
泥棒,独立を阻まれた画商,精神科医,失業者,強欲な画商とそれをパトロンにする画家.
これらの群像劇が,ラッシュライフをキーワードに物語の終わりを目指して収束していく.
lash, lush, rash, rush?
泥棒は人生を語り,画商は離婚を決意する.精神科医は途方に暮れ,失業者は強盗になる.強欲な画商と画家は呆然とする.
それぞれの物語の収束先はエッシャーの騙し絵.
ラッシュライフ,それはゆとりのある人生.
前向きなあきらめと,静かな期待.
といった感じか.

この話もよくでてくる,人生エスカレーター理論だな.


「人生に抵抗するのはやめた.世の中には大きな流れがあって,それに逆らっても結局のところ押し流されてしまうものなんだ.巨大な力で生かされていること
を理解すれば怖いものなどない.逃げることも必要ない.俺たちは自分の意志と選択で生きていると思っていても,実際は『生かされている』んだ.そうだろ
う?」
pp.127-128

物語で出てくる肩肘張ったかんじの人物が,この考えにいたって,前向きなあきらめの境地に至り,救いを見出す,というのが気持ちがよく,すがすがしい.
冬の朝,寒さの中から日の光りが差し込んでくる,そんなすがすがしさ,気持ちよさだ.

この本とKeith JarrettのCountryかThe Journey Homeがあう.

Posted by ysk5 at 11:56 AM | Comments (0) | TrackBack

けなす技術

山本 一郎.「けなす技術」.ソフトバンク パブリッシング,2005年.

緑のひとの本です.
緑です.

うつりゆく印象の連続体であるところのわたしが,どのようなわたしであったのかということを把握できる,というのが僕がしてきたblog行為における1つの果実であると思う.


あらかじめ本章の結論を述べておくが,ブログを継続して書くというのは,その話題をネットワーカーに晒すことで,同好の士を探し,己が好きなもの,サービ
スに対する評価を論じ合い,時事や商品やサービス,思想,政治,スポーツや映画などのエンターテインメントの一般的評価と己の落差を確認し,己の人生の変
遷を記録することで己を客観的に把握するための方法論であると言える.
pp.14

己の人生の変遷を記録する,ってのはなかなか難しい.それは己の現在を記録しなければならないからだ.そのためにはわたしが現在なにであるかを考えなければならないし,それを言語化しなければならない.
暗黙知から形式知への表出化というのは案外に大変で,しかしこれをすることにより,まさに知識が創造されるのだ.
これゆえに,blog行為は僕の研究活動において非常に役立っていると思う.他者とのインタラクション無しにでも.

でもしかし,落差つまり違いというのも知識の創造における気づきを誘発するもので,これを感じ取れるためのしくみをむげに扱うのもどうかな,と思った.
ので,blogになろうと思う.と書いたのだった.

Posted by ysk5 at 11:39 AM | Comments (2) | TrackBack

Conant and Ashby(1970)

Roger C. Conant, W. Ross Ashby. "Every good regulator of a system must
be a model of that system". International Journal of Systems Science,
Vol.1, No.2, pp.89-97, 1970.
内部モデル概念についての論文.
おそらくこの研究から,制御理論における文脈で内部モデル概念がとりいれられるようになったのであろう.
ここでは内部モデル(internal model)という表現は出てこないけど.
Abstractが素晴らしい.ついでにtitleも素晴らしい.
結論はまさにtitleにあるように”システムのよい調整機能(regulator)は,当該システムのモデルでなければならない”ということ.
Abstractを引用しながら説明する.
システムを調整することを考えるとき,従来ではそのシステムのモデルをつくることは,必須でないとされてきた.
が,システムのモデルをつくることは,調整の成功のために必要であることをこの研究では証明している.
調整の成功のためには,調整機能が調整対象と同型性をもつことが必要である.であるから,調整機能は調整対象のモデルをつくることが必要となる. #
システムの同型性ってやつだ
というのが証明内容.

The design of a complex regulator often includes the
making of a model of the system to be regulated. The making of such a
model has hitherto been regulated as optional, as merely one of many
possible ways. In this paper a theorem is presented which shows, under
very broad conditions, that any regulator that is maximally both
successful and simple must be isomorphic with the system being
regulated. (The exact assumption are given.) Making a model is thus
necessary. The theorem has the interesting corollary that the living
brain, so far as it is to be successful and efficient as a regulator
for survival, must proceed, in learning, by the formation of a model
(or models) of its environment.
Conant and Ashby(1970) pp.89

このような制御理論の考え方から内部モデルの概念が生まれ,であるからagentの内部モデルの学習からシステムとしての組織のbehaviourを考えたりすることが,自然であり妥当であるということが分かった.というかそういう理解に達した.

Posted by ysk5 at 11:16 AM | Comments (1) | TrackBack

April 02, 2005

前期の時間割@2005

とりあえず確定分だけ.
=====================================
月曜日:-
火曜日:4限-論文輪講ゼミ
水曜日:5限-数学ゼミ,6限-数学ゼミ
木曜日:-
金曜日:2限-卒業論文ゼミ,3限-文献輪講ゼミ,4限-文献輪講ゼミ
=====================================
あとはこれがどこかにはいることになっていると.


士論文ゼミは火曜2,3限か,金曜5限らしい.たぶん金曜5限はないな.1コマ分では終わらないでしょう.

Posted by ysk5 at 11:52 PM | Comments (0) | TrackBack

もっとファンタジーなロールのプレイング進捗状況(8)

雷もそろった.
おっさんと海賊も仲間になった.
大ボスっぽいのに一回やられるイベント終了.

Lv40
総プレイ時間25:30

Posted by ysk5 at 10:22 PM | Comments (0) | TrackBack

April 01, 2005

blogになろうと思う.

ほぼ1年間くらいネットワークの終端としてやってきて,それはそれでわたしにとって成果があったし効果があった.
けれどもそろそろプラトー入りするのが見えてきそうな感じがあるので,それを乗り越えるために何か手を打ったほうがいいかなと.続かないブレークスルーは停滞と同じなので.そして停滞は死と同義と.

ということで,いわゆるblogの定義であるところの機能のcommentとtrackbackを,これからは基本的にonにする方向でいってみる.
いままでのanonymousな閲覧者の視線という,私のメモの質の確保への駆動装置のエネルギーを,もう少し強いものとして感じられたならば,それは私のためになるのでしょう.

ということでよろしくお願いいたします.

Posted by ysk5 at 10:26 PM | Comments (3) | TrackBack

ぬんできた

ソーティング作業の森からご帰還されたセンセと工場長のひととぬんできた.


書けることだけ書くと,評価をできる程度の見識を持った人間は評価をせず,意義と意図とをくむことができるに至っていないレビュワーが,無責任さと放埒さを持ってして評価という名の感想を述べているのだな.

コンピュータ工学でやる程度の知識をおさえられないなら,imseなひとは何もできないスーパーマンになってしまうと思うのだけどな.
これもスーパーマンであるというラベルがほしいひとには言ってもしかたがないはなしではあるが.


や.
きょうはちゃんと終電に乗れました.

Posted by ysk5 at 11:03 AM | Comments (0) | TrackBack